百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈4〉謎のニサンザイ古墳は誰の陵か? | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 前記事では、日本最大の古墳である大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)が仁徳天皇陵で間違いないだろうという結論になりました。

 引き続き、古墳の築造年代と歴代天皇の崩御年(図表1)をチェックしながら他の古墳の被葬者を探っていきたいと思います。

 

■図表1 古墳築造年と歴代天皇の崩御年(筆者の見解による)

 

 仁徳天皇の崩御を受けて即位されたのは履中天皇(りちゅうてんのう)です。しかし、履中天皇は治世6年で崩御されてしまいます。履中天皇紀には無事績年(事績や出来事の記されない年)はありませんので、原日本紀年表でも6年の治世を経て456年に崩御されたことになります。

 

 次いで、同母弟の反正天皇(はんぜいてんのう)が即位されます。しかし、反正天皇も治世5年で崩御されます。反正天皇紀で事績の記されるのは元年と5年のみ(5年は崩御記事のみ)ですので、原日本紀年表では457年に即位され、翌年の458年に崩御されたことになります。

 

 このお二人の天皇の御陵について、『日本書紀』は履中天皇を「百舌鳥耳原陵(もずのみみのはらのみささぎ)」に葬り、反正天皇も「耳原陵(みみのはらのみささぎ)」に葬ったと記しています。

 

 図表1をみると、両天皇の御陵候補はニサンザイ古墳と田出井山古墳(たでいやまこふん)であることは一目瞭然です。ニサンザイ古墳は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の直後に築造されたとも考えられていますし、田出井山古墳も5世紀半ばから後半にかけての年代が想定されています。どちらが先だったかは不明ですが、『日本書紀』の記す場所から考えても一致します。

 

 この二つの古墳ですが、田出井山古墳は宮内庁から反正天皇の陵に治定されていますが、ニサンザイ古墳は陵墓参考地という位置づけになっています。

 ニサンザイ古墳は反正天皇の空墓だと想定されているのです。なぜ、大きい方のニサンザイ古墳が空墓で、小さい方の田出井山古墳が本当の陵とされているのかは謎です。

 

 大きさにはかなりの差があり、墳丘長300メートルのニサンザイ古墳は百舌鳥古墳群内で3番目の大きさ、全国でも7位の大きさを誇ります。一方、田出井山古墳は約半分の墳丘長で148メートルしかありません。ただ、形状は非常に似通っています。

 

 では、どちらがどちらの天皇の御陵でしょうか。

 実は、履中天皇陵は別に存在しているのです。宮内庁によって上石津ミサンザイ古墳に治定されています。百舌鳥古墳群内で大仙陵古墳に次いで2番目の大きさ、全国でも3位の大きさを誇る巨大古墳です。

 ところが、この上石津ミサンザイ古墳は考古学的に5世紀初頭から前半の築造であることがわかっています。仁徳天皇陵よりも先に築造されていたのです。つまり、履中天皇陵ではありえないということなのです。

 

 しかし、このように履中天皇の御陵が非常に巨大であったと思われていた(伝わっていた)ことや、履中天皇が反正天皇の同母兄であり、早くから皇太子となり(『日本書紀』では仁徳天皇31年に15歳で皇太子と記されています)先に天皇位についたことを考えあわせると、ニサンザイ古墳が履中天皇の陵であり、田出井山古墳が宮内庁治定の通り反正天皇陵であると考えてよいのではないかと思います。

 

●ニサンザイ古墳:履中天皇陵(日本書紀で「百舌鳥耳原陵」)

※空墓と考えられているため、前方部正面に拝所はありませんでした。

墳丘長300メートル/後円部の径約169メートル・高さ約25メートル/前方部の幅約246メートル・高さ約26メートル/3段築成で2重濠を持ち、くびれ部両側に造り出しがある

 

●田出井山古墳:反正天皇陵(日本書紀で「耳原陵」)

墳丘長148メートル/後円部の径約76メートル・高さ約13メートル/前方部の幅約110メートル・高さ約15メートル/3段築成で2重濠を持ち、くびれ部西側(後円部を上にして左側)に造り出しがある

 

 誰が提唱されたのか知りませんが、天皇陵は百舌鳥古墳群と古市古墳群に交互に造られているという説を耳にすることがあります。しかし、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇の3天皇については、御陵が百舌鳥古墳群に連続して築かれたと考えてよいのではないでしょうか。(つづく)

 

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