小野田寛郎氏の「生きる」を読みました。

 

何と数奇な人生を送ることになってしまったのかと思いつつ、

一気に読み進めました。

 

一貫してゆるぎない彼の目的意識、

ひいては日本国に対する思いには、

自然と頭が下がる思いでした。

 

もし彼が生きていたら、

自分は何も特別なことはしていない、

特別な人間でもない、

ただ1日ずつ、任務遂行を目指していたら、

結果的に29年の月日が流れていただけだとでも

おっしゃるかもしれません。

 

この本を読んで私は、

感動とか、感銘とか、感謝とか、

そういうありきたりな言葉では言い尽くせない、

どちらかと言えば、「衝撃」のようなものを感じました。

 

そして、命を守るということは、生きるということは、

何と厳しいことなのだろう、という、

大昔には当たり前すぎるほど当たり前だった事実を

再認識しました。

 

 殺らなければ殺られる

 

「戦場では」これが当たり前だと、

条件付きで語られることの多い考え方ですが、

弱肉強食は、今も昔も自然界では普通のことです。

 

だから、捕まれば食べられてしまう側も、生き延びられるように

反撃したり逃げたりできる能力を持つ。

 

そう考えると、これは、単純に

もともと自然の一部である私たち人間の社会や国家間にも

当てはめることができるのではないでしょうか?

 

国として、

何も積極的に相手を攻撃しろと言っているのではありません。

 

ただ、抑止力として

日本もしっかり軍備を整えておく必要があると思うのです。

 

 日本に少しでも手を出せばこうだぞ!

 

という抑止力です。

 

物騒に感じるかもしれませんが、

これが自然界の原則であり、国際社会でもあります。

直視してください。

 

特に、驚くような勢いで軍備拡張し、

経済力世界第2位で、

共産主義で、

南沙諸島は太古から自国の海域だと強弁して埋立て、

明らかに日本を敵視し、

尖閣諸島、沖縄、北海道へ食指を動かしている大国が

隣にあるのに、

平和憲法を守ると息巻いている人々は、

何もわかっていないデュープスか、

中国共産党に利する確信犯か・・・。

 

人権を屑とすら思わない巨大国家が隣にあることを

知ろうともしないのでしょう。

脊髄反射で戦争反対を唱えているとしか思えません。

(そもそも、抑止力は戦争をしないためのものなのですけどね)

目隠ししてじっとしていれば、いつか悪いことは過ぎ去るとでも?

 

もしくは、たとえ何かあっても

中国共産党の計らいで自分だけは大丈夫

とでも思っているのでしょうか。

 

しかも周りを見回すと、

そんな国は中国一国ではないのです。

 

小野田氏の「生きる」を読んで、

そんなことを考えさせられました。

 

興味があったら、みなさんもぜひ読んでみてください。

アマゾンの画像では単行本に見えますが、

実際は文庫本サイズで文字も大き目なので

読みやすいです。

 

ヘビーな内容だろうなと、自分で購入したにもかかわらず

ようやく重い腰を上げて読み始めたのですが、

あっという間に引き込まれて、読み終えてしまいました。