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流人道中記

2020年08月08日 10時27分09秒 | ひとりごと
図書館から「流人道中記」を借りてきた、
それも3週間も前のこと、今、やっと読み終えた。
貸出申込は確か4月だったから、手元に来るまでに3カ月を要している。
新聞広告を見るにつけ、読みたいなあ!
という思いがこみ上げてきて、
届いたらすぐにでもと思いきや、2週間もほっといて、
さすがに、返却日がせまってきたのがわかって、
やっとこさでページをめくった。

浅田次郎を読むのは初めてのこと、
確か「壬生義士伝」は映画館で、「一路」はBSで観た。
豊臣秀吉とか坂本龍馬とか、そんな英雄たちが主役になることのない、
巷で生きる人々の歴史小説を書く人、
というイメージが私にはあった。

そして昔から歴史物を描く人々の中には、永遠といっていいほどのテーマがあることを感じていた。
司馬遼太郎しかり、柴田錬三郎しかり、山岡荘八しかり・・・
武士とは何ぞや?
そして、その先にあるものとは・・・

「・・・敵の屋敷に討ち入るは簡単、そのうえ腹を切って死ぬれば、あっぱれ武士の誉れよとほめそやされるであろう。だが、それでは俺も糞になる・・・。
武士という罪を、おのが身で償う。千年の武士の世のささやかな贖罪とする。
武士道とは何ぞや!
それは戦だ!徳川の天下の前まではそうであった。
だが、天下泰平の世が始まって、まつりごととは無縁の武将が政をとり、その道徳は戦国のまま硬直した。
260年もの長きに渡り戦をせずにすんだというに、今もこうして大小の二本差しを捨てられぬ。
変革を忌避し、万事を先例に倣い続けた末、甚だ理屈に合わぬ儀礼と慣習で身を鎧った、奇妙な武士が出来上がった。
さような化物は存在そのものが罪だ・・・」

浅田次郎はいつも、片隅の人々に優しい!
優しすぎる・・・
読み終えて武士という定めの中で、人としてどう生きるべきか?
を問うた物語に見えてきた。
いまさら、当たり前と言えば当たり前のことだけれど。

BSでも映画でもいい。
映像の中に現れた玄蕃と乙次郎に、私はもう一度会いたい!
もう一度、共に歩きたい!
もう一度、人の情けに触れていたい!
もう一度、人の譲れない軸を感じていたい!
そして己の人生を、いまいちど振り返ってみたい。
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