サラ・ベルナールは、19世紀後半~20世紀初頭に花開いた「美しき時代」ベル・エポックを代表する女性です。
サラは初の国際派女優で、この時代の芸術家達に多くのインスパイアをもたらしたミューズでした。3月26日はサラの命日です。
ミュシャ「椿姫」(1896年):マルグリットはサラの当たり役だった。
"Alphonse Mucha - A11 La Dame Aux Camelias, 1896." Photo by Kyle Geib
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不遇な生い立ち、劣悪な環境で育ったサラ。修道院で人生を導く出会いがあり、演劇学校へ。
才能を花開かせたサラは女優として羽ばたきます。30歳になる頃には人気女優として高い評価を得るようになります。
新聞記者に追いかけられ記事を書かれるのはセレブの運命でしょうか。
棺で寝るなどミステリアスな私生活を自己演出したサラは24時間女優だったのかもしれません。棺で眠るサラのブロマイドが飛ぶように売れたそうです。
サラは演劇の他に絵画や彫刻にも才能を開花させてゆきます。
サラ・ベルナール「嵐のあと」
"Aprés le tempête (After the Storm)" Photo by greyloch
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サラは恋多き女性で社交界の華でした。そして若き芸術家を発掘し育て行くパトロンでもありました。審美眼の鋭さも一流だったんですね。
例えばミュシャはサラ・ベルナールが発注した舞台「ディスモンダ」のポスターによって一夜にして有名画家になり、その後も彼女に重用されたことは有名ですね。
アーテイストがミューズでもあり、さらにはプロデュースもして相手をメジャーにする、という。
ジュール・バスティアン=ルパージュ「サラ・ベルナールの肖像」
"Bastien-Lepage Jules - Portrait of Sarah Bernhardt 1879" Photo by Włodek Głażewski
source: https://flic.kr/p/Qd2TUF
サラの人生は19世紀から20世紀の栄光と波乱の時代に影響を受けました。常に飽くことない向上心と挑戦の日々。
ライバル女優の台頭と確執もあったし、舞台で赤字が出れば自分の財産を売ってまでして補填し、次の舞台に備えたと言います。
サラは舞台での事故で痛めた右膝が原因で、66歳のとき右脚切断手術を受けますが、その後も不屈の精神で再起します。
彼女がさいごに倒れたの時も、当時最先端の芸術・映画の撮影中でした。
サラは愛息の腕の中で息を引き取りました。79年の生涯でした。
サラ・ベルナール(1844年10月22日~1923年3月26日)
"Sarah Bernhardt" Photo by seriykotik1970
source: https://flic.kr/p/7CGLpt
激動の人生を送ったサラ・ベルナールのモットーは「何が何でもやり遂げてみせる」だったそうです。
その言葉通り、サラ・ベルナールは生涯女優を生き切った女性だったのですね。
サラの葬儀は3日間に渡り、100万人の人々が沿道から彼女の棺を見送りました。
サラ・ベルナールはベル・エポックのパリ、そして世界から愛された大女優だったのですね。
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