「愛情物語」(1956年)は往年の名ピアニスト、エディ・デューチンの生涯を描いた伝記映画です。
エディ・デューチン(タイロン・パワー)はピアニストとして生きる夢を抱いてニューヨークへ出て来たものの、思い込みが過ぎて失意に陥る。そんな彼に上流階級の女性マージョリー(キム・ノヴァク)が手を差し伸べる。…
"Selections from My Jazz Album Collection" Photo by Jazz Guy
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お喋りですっとこどっこいなエディですが、ピアノの腕は独創的で素晴らしく、観客を惹きこむ魅力あるスタイルです。
エディは女神のようなマージョリーのお陰できっかけを掴むと、とんとん拍子で人気者に。
愛するマージョリーと結婚したエディは幸せの頂点。
マージョリーも幸せに歓喜しますが、同時に「エディが強風に吹かれて消える」悪夢を見て、実際に風を怖がるように。
風が奪ったのはマージョリー。彼女は出産直後に命を落としてしまうのです。
絶望のどん底に落ちるエディ。
"Selections from My Jazz Album Collection" Photo by Jazz Guy
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その後、何年も疎遠にしていた息子と向かい合って絆を作り直したエディは、ピアニストとしても復活を果たし、公私ともに再び幸せをつかむのですね。
ところが、今度は彼自身が白血病で余命1年と宣告されるのです。
かつてはマージョリーへの罪悪感から「自分の命はいらない」と思っていたエディですが、再び幸せを掴んだ今は命が惜しい。
2度も幸せの絶頂から絶望へ転落するエディは嘆きます。
「人生は非情だ」と。
幸せの絶頂から2度転げ落ちたエディですが、病という人が何ともしようがない理由です。だから誰も悪くないのです。
だから「運命の悪戯」という言葉があるのでしょう。
マージョリーの死後、エディが息子のピーターを何年も避けてしまったのはエディの罪悪感からですが、それはエディの弱さだったように思います。
転落のきっかけどうにもならないことであっても、それがその人を弱くしたり、あるいはその人の弱さをあぶりだしてしまうことがある。
人生における負の連鎖なのですね。本来人生はシンプルなものだとしても、こうして複雑になってゆくのでしょう。
"THE EDDY DUCHIN STORY" Photo by David Zellaby
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人は幸せをつかむと、今度はそれを失う不安が生じるもの。
実際、予測できない風のように人生が急変することがあります。
エディが言うように、確かに人生は残酷なところがあります。
だからこそ人には与え、与えられる愛情が必要なのですね。
愛情は人にとって必要な心の栄養。その愛を失えば「もう一度愛して」と願うのが人間。まさに「To Love Again」なんですね。
実際、エディが絶望から立ち上がることが出来たのも愛の力に他ならないわけです。
「愛情物語」は、エディの作った名曲と共に凝縮された人生物語なのです。
非情な人生を生き抜いたエディの姿は観る者を励ましてくれます。