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2020年5月5日火曜日

(連載13)13-5無から生まれた希望


   



この世界は無から始まった。


この事実が「世界はただ一つ」であることを現わし、
等価原理の本質であり、我々の宇宙の起源である。


即ち「世界は無と等しい」ものであり、
この無の正体が無限大に拡大するベクトルである。


そしてこのベクトルが実体なのだ。


我々宇宙は全て実体である。
全ての本質は存在ではなく力学である。


故に次元世界がいくら分岐しようとも
それはただひとつの宇宙の拡大であり、
個と全を一つとする
ベクトルによる統合である。


これが「次元共有の大原理」である。

この大原理によって
全ての次元世界は支えあい、
そして共有しなければお互いに実在することはできない。



宇宙の(物質や空間の)次元世界なくして自我世界はなく、
また自我世界をもたない無限大の大宇宙も
やはりこの世界には存在することが出来ない。


このように宇宙が「存在する」ということは
そこに命や自我世界が同じように「存在する」ということである。



けれども宇宙や太陽、そして地球も、
その形こそ生命次元と酷似する概念世界であるが、
彼らはその構造の内側に直接的に
自我世界を発生させることはできない。


しかし「彼ら」は、
その概念の外側にこそ異なった形で
「自我世界」を発現させたのである。


宇宙の自我世界と同じものとして。
全ての拡大のベクトルとして。



すなわち無の延長線上の存在である「彼ら」も、
無と同様に、
自我という状態を「求めた」のである。


それがあなたに宿る自我世界だ。


そして自我世界をもつ「あなた」が
精神世界の「あなた」の中に存在するように、
生命体としての「あなた」、
物質や宇宙としての「あなた」、
空間と時間としての「あなた」も
たしかに実在する。


この実在する「あなた」のあるかぎり、
時間としての「あなた」、
空間としての「あなた」、
無としての「あなた」も
確実に実在するはずなのだ。


自我世界が「無とつながる」とは、
そういうことである。


「あなた」が宇宙として存在するように、
「あなた」として存在する宇宙がある。


我々は「目を向ければよい」、
ただそれだけである。


そこに映るあらゆる存在が
「あなた」という概念をもつ同じ宇宙なのだ。


したがって「あなた」という存在は、
自らは自我をもつことが出来ない、
全ての宇宙が見る一時の夢(永遠の現実)であり、
あるいは「この宇宙の自我」そのものである。


これはそう断言しても
決して過言ではない。


したがって本項表題の「大宇宙の自我」とは、
この宇宙のもつ自我世界のことであり
それはまさしく
「我々人間の自我世界」である。



自我は「宇宙」であり
そして「世界」である。


あなたはこの世界であり、
この世界もまたあなた自身である。
(モナドには窓がなく、自身を映す鏡となるのは
この為である)

ゆえに「あなた」とは「わたし」のことである。


「あなた」として実在する宇宙があるように、
「わたし」として存在する宇宙も実在する。


それはひとつとして繋がる同じ宇宙なのだ。


したがって人間は
誰もがこの宇宙の同じ部分である。
したがって我々は皆、
誰もがこの宇宙と等しい存在なのだ。


だからこそ実在する全ての概念は、
この宇宙を介してひとつにつながる。


人が「あなたたち」という時、
それはすなわち
「わたしたち」である。


人間がこの宇宙や自然を見て
人間を知るのと同様に、
人間は人間を理解できる唯一の存在である。


人間の外側の宇宙へと向けられた全ての探求は
その全てが人間の内面を理解する探求につながる。


人々の「何かを知りたい」という探求は
人間の「自分を理解してもらいたい」という願いと
同じものだったのだ。


「あなた」が存在すれば「わたし」は実在であり、
「わたし」が存在すれば「あなた」は実在である。


我々は同じ次元世界である。




この宇宙には
自らはその存在を自覚することができない
空間や物質、あるいは数多くの植物、動物が存在する。


しかし次元世界は拡大をつづけ、
世界を広げるために存在する。


この次元原理において、
我々人間の自我世界だけが唯一
「存在すること」を認識する能力をもつ。



これは「第8次元自我世界」が
生きていることを実感できる、
あるいは生きている喜びを「理解」できる唯一の次元世界
ということなのだ。


「私はここにいる」と自我は認識する。


しかし自我世界もまた
この世界と同じく、
無の属性をもつものである。


「ここ」という場所は実際には存在せず、
「私という自我」も本来は「無」であるのかもしれない。


けれども人間は、喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ、生きる。
生きるために生きる。
何かを求める為に生きつづける。


このどこにも存在しないはずの自我が
「確かに存在する」ことが、
次元構造をもって生まれた宇宙の全ての願いであり、
希望なのだ。



そしてその事実を認識できるのも、
また我々という「自我世界」でしかない。



「無」が確かに実在するように、
我々の自我世界も間違いなく実在する。


「この世界には何も存在しなかった」


それは宇宙に存在する唯一のベクトルであり、
その力学が「願い」なのだ。



全ての宇宙の同じ願い、
希望というベクトルの結晶。



だからこそ我々は
こうして今を生きている。


つまり「あなたの意志」は「宇宙の意志」であり、
あなたの「生」はこの世界にある唯一の存在、
全ての概念がもつ希望である。


あらゆる宇宙は一様に拡大することを望み、
そしてそのことを喜びたいと願ったのである。


そのためだけにあなたは
この世界から分岐した。





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