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2020年9月8日火曜日

(連載16)16-6宇宙にある意志




 
次元理論における「植物」は、
第6次元生命世界に属している。


植物には「脳」、つまり精神構造はない。


けれども植物たちは現在、多種多様な生態として
物質世界や生命世界、さらには精神世界、
そして我々人間の自我世界とも深くつながりを保つ。


彼らは虫や鳥、風、獣、ついには我々人間をも
その多様性によって包括した世界である。


彼らは世界の物質環境を生命世界へと変化させる。
したがって精神世界も
彼らの産物として捉えられるのかもしれない。


けれどもこの発展の中心には
「遺伝子」の存在が不可欠である。


この「遺伝子」は数学的にある可能性から
「生きのこる確率の一番高いもの」のみが
選択されてきたように解釈されている。


さらに「遺伝子自体は意志をもたない」
これも事実である。


けれども遺伝子には
概念的な「生きていたい、広がりたい」という
「唯ひとつの願い」がこめられているのも事実であり、
つまり遺伝子をもつこと自体が
生命世界の「意志」である。


この宇宙も生命世界も同じように
誕生した時点から
その目的のために存在する力学を持つ。


物質世界は存在ではなく
力学なのだ。
そしてこの力学が
世界世界の意志である。


つまり精神世界が意志をもつのではなく、
宇宙の意志の具現化として遺伝子は生まれ、
生命世界は発展したのである。


そのために彼らは、
同じ世界の同種やほかの次元世界とも共存でき、
「ひとつになりたい」「もっと生きたい」という
概念的なその意志を発現する。



遺伝子が変化すること、そして遺伝子を変化させること、
それも命の前提であり、これは彼らの「意志」なのだ。



つまり生物たちは遺伝子を複製する場合にも、
全くおなじ遺伝子は創造しない「能力」を持つ。
環境に合わせて周りの有機物を取り込みながら
それを自らの中にも拡大し、
周りの環境の中にも自らを拡大する、
それが遺伝子の力学である。



そして彼らの宿した「概念的な意志」は、
我々がたった今知りえたばかりの
「自我の本質」や「究極の自我」とも
全く同質である。




つまりあらゆる次元世界にやどる概念的な意志の力は、
自我世界の持つ「あなた」の根本的な願いとも
全く同じである。


同じ世界の同じ概念であるからこそ、
それは当然の出来事なのだ。
我々はその事実に気づかなければならない。


力学は意志と等しい。
我々の意志も世界の物理的力学と同質である。



したがって「究極の自我」によって
「自我が世界を求める」というだけではなかったのだ。


自我世界も
あらゆる次元世界から同様に「求められている」。


さらに視点を変えてみれば、
自我世界も次元世界の一部分であり、
「我々」は世界における異質な概念ではない。



この世界は、あなたと同じものである。



あらゆる次元世界におけるあらゆる存在は
「存在するために、融合するために」
その全てが成長をつづける。


そしてそのことだけが次元世界を広げ、
新しい世界を育むことにもつながる。

世界は拡大することが前提であり、
拡大への欲求そのものなのだ。



このように我々の自我世界も
全ての次元世界の延長線上に実在し、
だからこそ自我世界は
「彼ら」から「あらゆる全て」を
学ぶことができる。



自我世界にある「ひとつになりたい」という統合された「意志」。
命と命とが求めあう生命世界の「本能」。
そして物質世界のもつ「重力」。



この「重力」という言葉に集約される「融合するための力」が、
全ての次元世界の
あらゆる存在にとってのキーワードである。



我々人間は全てを別々に捉えてはならない。



そして人類とその自我世界における融合は、
「共有し共存すること」である。



私がここまであつかってきた「次元共有の大原理」は、
正に我々人間にとっての大原理だったのだ。



我々は「融合」するために最も適した
「ひとつになりたい」という「究極の自我」をもつ。


人類にとっての命題、
あるいは我々がむかう先にあるものは
常に「共有と共存」から生まれる新しい世界である。



それ以外に人間に道はない。



では我々は、
何と共存し、何を共有するべきなのか。

それは「世界」である。

世界とは宇宙であり、
地球であり、
自然であり、
生き物であり、
同じ人間である。


人間は、宇宙、地球、自然、そして人間とも
共有し共存する「次元世界」なのだ。




次元理論はシンプルであり
それゆえに我々がもつ無数の価値観と
ほとんどの思想を同時にささえる。


人間が存在することは常に「正しいこと」であり、
我々は人間の存在を悪へと変えてはならない。
自我に善悪はない。

その存在は常に正しい。

この世界は
「広がること、つながること」のみを望む。


我々は自らのつながる世界として、
より正しい世界を準備できるか否かという問題と
常に向きあう。



善や悪はそこに生まれるものであり
無論悪とは否定することであり
「共有や共存ではないもの」である。

そのためにも我々は
第8次元世界として「次元原理」を学び、
「自我世界」を広げつづけなければならない。




自我という次元世界にとって最も大切なことは、
何かを想うこと、誰かを想うことである。
誰かに思われること、
あるいは何かに想われることも同様であり、
これは「共有」である。


自我が次元世界である限り、
この結びつきの中にのみ
「我々人間」は存在する。


そしてその共有が「融合」へと変化した時、
それは新しい世界の「創造」である。


これに勝る存在意義など、
この世界の何処にも存在しない。
我々は太陽の中心に集まり、
そこから広がる新たな世界である。



























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