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(yottin blog)

荒波人生 絶望の20年3月13日東京

2019年12月06日 08時59分53秒 | 小説/詩

再び亀戸に戻り錦糸町から千住方面まで捜索したけれど

手がかりは全く無く、もしや戻っているのではと思い何度も

家の辺りに帰るのだけれど、やはり二人の姿は無かった

それでも淡い期待を持って30分も経たぬうちに戻る

さすがに昼を過ぎるとあきらめの境地にようやくなった

そうなると次ぎに心配なのは浅草象潟町のセイ叔母さんと

隣の娘(帝劇ガール)珠子のことであった

浅草寺の裏手、象潟警察署に近いところだ

浅草寺も仲見世も焼け、浅草神社だけは奇跡的に焼け残ったという

噂だ、浅草寺も焼けるほどだから浅草一帯の様子は推して知るべし

やはり行ってみて愕然とした、浅草寺と富士小学校が一つの

目安だったから容易にセイ叔母さんの居宅跡に着いた

2年前の昭和18年、それまで独り身だったが栃木県の阿久津村

出身の浅吉という男と結婚した

セイ叔母さんは以前は水商売をしていたらしい、が本当のところは

わからない、いかにもお江戸浅草の女で粋な叔母さんだった

気早でさっぱりした性格の父とは気が合って一緒に居て楽しい

随分と世話になった、暇になるとよくここで半日を過ごしたものだった

隣の珠子さんもスラッとした浅草美人で二人が着物姿で並んで

いると母子のようだった(写真が残っている、父は終生仏壇にしまって

いた、セピア色の写真はひび割れ破れかけている、唯一の写真)

今、その焼け跡に経って呆然としている、木札が焼け跡にたっている

「セイ行方不明 浅吉」浅吉さんは生きている、しかし叔母さんは

行方不明・・・後日わかったが、空襲の以前から浅吉さんは東京を

離れていて命拾いしたのだった

隣を見るとやはり「珠子行方シレズ 父」という札が立っている

珠子ねえさんも行方不明・・・・・・悲しみを通り越して呆然とする父だった

それでもと思って焼け崩れた浅草寺の境内に行ってみると、ここにも

数え切れない数の遺体が運び込まれて積み重なっている

もしや叔母さんや珠子さんの遺体が...と思って近づいたが

とても耐えられるものでなかった、よしんば遺体があってもこの惨状

無残な姿を見たくないと思った

境内にも高札が経っていた「ご本尊無事」の文字が書かれていた

父はこれを見た瞬間、怒りがこみ上げてきた

(肉親の行方がわからず、目の前には目を覆うばかりの遺体があちこちに

山積みになっている中で、悔しさで成仏出来ずに居る多くの魂を慰め

来世に送るべき僧侶が、我が本尊の無事を喜んでいる

木だか石だかわからない象徴の無事より、今こうして苦しんでいる

100万人の彷徨者に希望を与えることが僧侶の勤めではないか

おれは生涯、神も仏も信じる者か)父はそう思った

望みも終えて、父がふと思い出したのは義父の弟、慶次の家族であった

彼らは足立区内を転々としていたが,今は千住に近い梅島に住んでいた

 

慶次の借家は無事だった、女房と3人の娘も元気でいた

長女は6歳になっていた、目のくりくりした無邪気な可愛い娘だった

少し父の心が和んだ、(ここに僅かな縁者がいた)

父の顔を見た途端、叔父さんが「オイオイ」と声を上げて泣き出したではないか

「兄貴もセイもみんな居なくなっちまったよぉ、どうすりゃいいんだ」

「言問橋じゃ何千人も焼け死んだって言うじゃないか、セイもきっと

そこに逃げていったに違えない、もうだめだ! だめだ!」

女房子供の前で恥も外聞も無く泣いている

父も驚いたが、持ち合わせた僅かな米を黙って叔父さんの手に握らせると

泣き止んだ「すまねえな かず」

肝心の叔父さんが、こんな状態なので次の打つ手もわからず父は戻るしか

無かった、今夜の宿も探さなければ

そして品川の勤めて居た工場を思い出して、そっちに向かった、幸い

工場一帯は無事で、そこで一晩泊めてもらえることになった

翌日は、もう亀戸まで戻る気力も失せて、次の休暇に行くことにして隊に

戻ったのである

 

 

 

 

 

 


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