台風が少しずつ方向を右へ右へと変え、
結局「日本列島縦断全国ツアー」状態で来るんかい!
という週末皆さまいかがお過ごしでしょうか?
台風の備えは早めにしましょう!
私もジョーロを部屋に入れました(そんだけ?)
今朝、近所を歩いていたのですが、
公立の小学校で「やや無理やり」運動会を決行していました
そのあと、雨がたくさん降ってきましたので、あの運動会はどうなったんだろう?と心配しています
歩きながらよく考えごとをしますが
今朝は、「例の仏頂面のお方」について考えながら歩きました(いろいろな意味でアブナイ)
え、「仏頂面って誰か?」って?
この方ですよ↓
「はーい、仏頂面でーす!」
法金剛院の阿弥陀如来像です
この仏像も、国宝になっても良さそうなほど、由緒正しい仏像なのです
本体だけでなく、光背も台座も意匠を凝らした作りで、それはそれはゴージャス!なのです
で、私はこの方については、会うたびに「仏頂面」だと感じてしまうのですが、その理由を考えてみると
この方の上のまぶたの線がまっすぐで、目が座っているところ
ほっぺたが少し高く、硬い表現なところ
髪際(はっさい)線が、横にびーっと真一文字なところ…など、細かなことの積み重なりで、全体がなんとなく「硬い」印象となり、それが「ザ・仏頂面」の理由なんじゃないか?と思います
この阿弥陀如来像の作者は院覚です
院覚は、平等院阿弥陀如来像の作者で、和様彫刻の大成者である定朝から数えて第四世代にあたる仏師さんです
彼は、「定朝様の正当な継承者」である「院派」を代表する仏師さんなのですが…
正当な継承者というわりに、彼の人生は波乱万丈でした
それは、
順調な出世をしたというよりは、ライバル「円派」に差をつけられる前半生だった
藤原摂関家の不祥事に巻き込まれて仕事がなくなった…など、
散々な仏師人生のスタートを切ったことからも、わかります…うわ〜〜ん
しかし、そんな彼も、待賢門院璋子(たまこ)に見出されてからは仕事が増えることになり、めでたしめでたし…となっていったのですヨカッタネ
と、彼の人生は、ざっとこんな感じなのですが(ざっとが過ぎる)、
そんな彼が造った法金剛院の阿弥陀仏が、またどうしてこんなに仏頂面の(しつこい)なのかしら?
…と考えていたのです(余計なお世話)
法金剛院の発願者は、待賢門院璋子です
院覚も、「オレ様は、定朝様の正当な継承者だ!(えへん!)」とか威張ってないで(威張ったという史料はないですが)、
女性が発願者なんだから、もっと柔らかなお顔にしたらよかったのに
これだもの…
でも、私も何回もこのお顔を拝しているうちに、だんだん慣れてきて、可愛く見えてきたりするから不思議だわ…(かわいい必要は、ないんだけどね)
お顔の話から離れますが、この定朝様の阿弥陀仏には、平等院を越える特徴があります
それは台座の蓮弁などに施された繊細な模様です
細かな装飾模様が、彫刻されています!
しつこいほどです(こら)
待賢門院璋子の生きた平安時代後期には、
とくに「過差(かさ)」という表現が好まれました
「過差」とは、過ぎた贅沢という意味で.この台座の蓮弁の表現なども、これにあたります
また、これ以外にも過差の例があります
たとえば、この時代に好まれた仏像の装飾の繊細な切金文様や、光背の折れてしまいそうなほどの細い雲文の表現などもこの「過差」という表現で表されます
具体例は…探してみてね(おい)
今朝、雨の降る前は、キンモクセイの香りが漂っていました
ひっそりと色々な花が咲いていて、気が散りながらも、「あの仏頂面」について考えながら歩いていたのでした(気が散り過ぎました)
そして先程、自宅の前を小学生たちがガヤガヤ通り過ぎたので、
雨が降ってからも、直ぐに下校にならずに、運動会は続行だったのかな?とちょっと疑問に思っているところです
…おまけに今週が運動会だということをすっかり忘れて、塾で受け持っている中学受験生に、宿題をたんまり出してしまったことを少し反省しています…
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