白毫寺で平安の阿弥陀仏と、超特急の観音勢至に会う | 奈良大好き主婦日記☕

奈良大好き主婦日記☕

鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 
またまた続きですが、できるだけさらっと進めたいと思います(できるかな?)
 
 
新薬師寺から歴史の道に入りました
 
 
↓現地案内板に現在地と書いてある赤い所にいます
目指すのは、青丸で囲んだ百毫寺
 
 
 
山の辺の道の案内板
このあたりも「山の辺の道」なんですよね
ちょっとしっくりこないんだけどね…

私にとって「山の辺の道」は、もっと南、三輪山とか崇神天皇陵あたりのイメージが強く、
はるか北のこのあたりまで「山の辺の道」といわれても、いまいちピンとこないのですが
少し前の記事に登場した、奈良時代の美術史の大家の大先生は、「山の辺の道」について、こんなふうにおっしゃいます
 
「山の辺の道なんて名前は昔はなかった。そんな気取った名前つけるなんて(なんたることだ)」
 
これには私は(心の中で)反対ですえー
 
少なくとも私が学生だったうん十年前には「山の辺の道」は確かに存在していました
ある友人と歩いた時は途中でケンカになり、また別の友人と年の瀬に歩いた時は落ちてるミカンが食べられないか?と拾ってみたりしました(ろくなことしてない)
昔から「山の辺の道」が大好きです
 


…ま、そんな雑談はさておきあせる 
 
 
「歴史の道」の道しるべを探して、一つずつ写真におさめました(これも私の習性です)
 
 
 
 
 
 
ずっと「歴史の道」の道しるべに沿って歩いていくと
 
朽ちた木の板に万葉集の歌が!
さて読めますか?
読み人知らず
能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも
巻10 1861
 
この板は、能登川のほとりにかけられていました(どこかに石碑があるのかと思ったけど見つかりませんでした)


百毫寺までもう少し



以前通った時も、お地蔵さんたちは赤いよだれかけをかけていました
 
地味な道です
 
 

こんなところにも万葉集の看板がありますが、ここは以前は無人のお店ようなものがありました
そのお店には、万葉集の歌の書いてあるグッズが売られていたような気がします
 
その痕跡が、これ↓
ちょっと卒塔婆みたいですが…
この卒塔婆みたいな万葉歌の木札は他にも束ねておいてありましたが、
対向車が来て、木札の写真なんか撮っていたらまるで不審者みたいなので撮れませんでした(撮りたかったー!)
 
 
 
 
 
今までの南向きの道から左折し、ここからは東に向かって百毫寺へ行きます
 

坂の終点が百毫寺への階段の起点
 


前にも書きましたが、白毫寺の階段の左手は、
昔は畑でした
その畑がいつの間にか小さな区画に分けられて家が建ち、
その家が今ではすっかり年季の入った建物になっています
人生も家もあっという間に古びるものだ、という変な感慨にふけりそうになりました
 
 
 
階段は筋を変えて、更に続きます
秋にはここに萩の花が咲くのだろうけど(最近はあまり咲かないとも聞くけど)
有名な百毫寺の萩を見たことがない

萩の季節に奈良を訪れたことがないのです
一年に何度も奈良を訪れるけれど、行けない時期というがありますね…
 
百毫寺の概要、wikiをどうぞ↓
 
 

百毫寺は小高いところにあるため、奈良市内を見渡すことができます
↓真ん中より少しだけ右側に興福寺の五重塔が見えます
 

空が住んでいて遠くまでよく見えます
 
撮影日、2月7日です
 
 


さて、百毫寺にはいろいろな仏像がありますが、ここではまず宝蔵に収蔵されている阿弥陀如来像を見てみますね
自宅で百毫寺関連の本を探してみましたが、一冊もありませんので(白毫寺って、ちょっとマニアックだよね)、お寺でいただいたパンフの文を引用します
「阿弥陀如来像(重文)平安ー鎌倉時代(像高138センチ)
定朝様式の阿弥陀像で当寺の御本尊。桧材の寄木造で漆箔を施す。伏し目のもの静かな温顔と、穏やかな肉取りの体部、浅い彫り口の衣文などをもち、やや力強さに欠けるが、いかにも品よく仕上げられている。」
ということです
 
で、思いついたことを書き加えでみると、
まず、阿弥陀像本体は、定朝作の丈六の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像よりはかなり小さい坐像です
印相は定印をとり、これは平等院像と同じです
 
表情についてですが、「定朝様」といわれる仏像でも、京都花園にある法金剛院の阿弥陀如来像などは、正面から見ると上瞼が直線に近く、わりと「ぶっきらぼうな表情」なのに、下から見上げるとあら不思議!とても優しい表情に変化します

これは、仏像と礼拝者が対峙するときの目線を意識して、仏師が巧みに「調整」したのではないかと私は考えています
 
では、百毫寺の阿弥陀像はどうでしょうか?
(人のいない収蔵庫で、まるで不審者のように、下から阿弥陀像を見上げてみました←不審者だよ)
 
↓その時のメモがこれ
↑堂内が暗くて、四色ボールペンの色が区別できていない人のメモです汗
 
「上まぶたまっすぐ」「下からみあげてやさしいわけではない」とメモしています(字が汚くて読めないよ)
平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像は正面から見た時に目の開きが大きく優しいのです
これは対岸の小御所というところから遥かに拝むための視線の工夫と考えます
それに対し、法金剛院阿弥陀像などは、堂内で見上げることを想定して造られた像であるため、(たとえ正面から見るとぶっきらぼうでも)下から見上げるととたんに優しい視線になります
 
平等院鳳凰堂阿弥陀如来像
 
法金剛院阿弥陀如来像(粗い画像ですみませんが、正面からみた表情は固い)

 法金剛院について↓
 
 
 
ところが、百毫寺は、正面から見ても、下から見ても、優しいという感じは受けませんでした
これは、
・時代によるものなのか(ちなみに法金剛院像も12世紀前半で、平等院よりは後)、
それとも、
・南都奈良という土地によるものなのか(奈良風っていい意味で独自性をキープしていると思うので)、
理由はわかりません

何しろ、百毫寺のこの阿弥陀像に関する史料がパンフ以外にないので、これ以上なんとも言えません(史料を探しましょう)

「だからどうした?」といわれればそれまでですが、
「じゃあ、「定朝様式」ってなに?」って思いませんか?

よくブログに見られるように、そして私も時々やるように、安易にパンフの文字を書き写して分かったみたいにするのは簡単だし安全かもしれませんが、
「それでなにがわかるのか?」

わかったつもりは記憶に定着しません
問題意識を持つというのは大事なことだと思います
だけど、何が問題なのかがそもそもわかんないよね?小さなことでもいい、というか、大きな問題を見つけるのは、専門家のやることかもしれません
とにかく、問題意識を少しでも持つと、そこから深〜くて楽しい世界が始まるかもしれません!(が、ふか〜いドツボや泥沼にはまるかもしれませんので別におすすめするわけではありませんにやり
 


さらにもう一つ、この像の衣文線についても気になる点があります
上のメモに、Bタイプと書いてますが、いわゆる「定朝様」と呼ばれる阿弥陀には、衣文線に二つのタイプがあるという説があります
この説に従ってみてみると、百毫寺の阿弥陀像は平等院阿弥陀像とは違うタイプの衣文線を持っていることになりそうです…うーん
 
長くなりそうなのでこの辺にしておきますが、
定朝様について、過去に書いた記事を貼っておきますね(↓もっとまじめに書けばよかったなあと少し後悔している記事でもある)
 
 

次に光背についてです
この阿弥陀像の光背は前回の記事にも書いた二重円相光背です
image
周縁部に飛天をかけるいわゆる「飛天光背」です

画像がないのですが、現場で見たところ、光背周縁部の頂上は(よく見えなかったんだけどたぶん)禅定印を結ぶ大日?なんじゃないかと思います
 
 
宝蔵にはこのほかに、平安時代の文殊菩薩、鎌倉時代の地蔵菩薩、太山王などが安置されていますが、華麗に割愛させていただきます(バチがあたるぞ)
 

境内には、石仏の路があります

石仏がいっぱい

不動明王
 
ここには多宝塔があったそう

 
 あけぼの という名前の椿
 

こちらは有名な五色椿です…お花の時期にはまだ早すぎた
 


万葉集の歌碑
犬養孝先生の筆です
 
高円の野辺の秋萩いたづあらに咲きか散るらむ見る人なしに
巻二、231 笠金村
 
志貴皇子を詠んだ歌です
 
 


最後に百毫寺の本堂に入ります
本堂は17世紀前半の百毫寺再興期の建立だそうですが、奈良時代以来の形式を踏んだ建物のようです

 
ここには阿弥陀三尊がいらっしゃいます
後ろの壁には時代不明の両界曼荼羅を掛け、
中尊の阿弥陀如来像は室町時代の作だそうです(堂内は撮影不可だったと思うのですが、画像検索していたところ、ツイッターにこんな写真↓があることを発見しました…もしかしたら、盗撮に当たるものかもしれませんので、引用元は書かず、拾い画ということにします)
三尊とも小さな像です
中尊の阿弥陀如来像は定印を結び、右足を上に結跏趺坐しています
その表情はきつく上がり目で、下から見上げても優しくありませんでした
 
 
両脇の脇侍は大和坐りで有名です
それも、「超スピードで駆け付けます!」って感じの、著しい前掲姿勢です
二体とも江戸時代の作だそうです(それにしては素敵な像な気がします)
 


↓観音菩薩は左足を立てています
もう、お出かけ寸前みたいな格好です
各所に金箔の跡が残り、左肩の衣文線が独特で面白いです
腕釧が腕に食い込んでいるように見えます
 
image
勢至菩薩像は、観音とは異なる衣文線ですが、この二つはとても似ているので、一具なんじゃないかと思います
横から見ると、すぐ駆けつけるために、坐る蓮台まで前傾していて、その上に前のめりに座っているのでした
どんだけ急いで駆け付けようとしているのか?知恩院の早来迎よりもきっと早く来てくれるに違いないので、いざというときにはこちらにお願いしてはいかがでしょうか?(自己責任でお願いします)
 

↓こちらもお急ぎの、知恩院早来迎
https://www.chion-in.or.jp/highlight/treasure.php
 
 

チューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫チューリップピンクチューリップオレンジ



百毫寺からの帰り道、又新薬師寺の前を通り、
「入江泰吉記念奈良氏写真美術館」に立ち寄り、大いに時間を使いました

そして、すでに持っているのに、また同じ好みの絵ハガキを買い、おまけに本まで買ってしまったという、いつものようなことをしてしまいました
(やれやれ、ホント、馬鹿ですねー( ̄◇ ̄;))