アフィリエイト広告を利用しています

2020年05月15日

米沢特有の墓石 万年塔

万年塔
今回は米沢独特の墓石のお話です。

shirinonagori431 (6).JPG
庭園用ではなく墓石です
[撮影:林泉寺]

中が空洞となっている立方体の石の上に、屋根をのせた形をしています。側面には規則正しく開けられた穴。ここ林泉寺に限らず、米沢ではよく見かけるお墓の形で『万年塔』と呼ばれています。

sn431.JPG
[撮影:普門院]


■直江兼続考案■
万年塔はあの直江兼続により考案されました。独特の形で見た目も良いですが、実はかなり機能を意識して造られています。

お墓で機能?

●戦に備える
<米沢城本丸跡>
shirononagori389 (5).JPG

万年塔が考案された正確な時期はわかりませんが、直江兼続が米沢と関わりを持つのは戦国末期から江戸初期です。まだ緊張状態は続いています。万年塔は、有事ともなれば屋根を外し、積み上げて防護壁とすることを想定していました。

徳川家康を敵に回した代償として、上杉家は会津120万石から出羽米沢30万石へ減移封となりましたが、直江兼続は城下町や新田開発に力を注ぐ一方で、山中で密かに鉄砲を鍛造させるなど、新たな戦を意識していたようです。米沢に限らず、江戸時代初期とはそういう時代なのかもしれませんね。

●氾濫に備える
<松川>
sn431b.jpg
米沢市内を流れる松川

今でこそ整備されている松川ですが、昔はよく氾濫する川だったそうです。万年塔は洪水の際には土を詰め、土嚢とすることも想定していたようです。丈夫でありながら中身が空洞なため、運び安かったかもしれませんね。


最後に
考案者である兼続の墓所をご紹介します。

<林泉寺>
shirinonagori431 (2).JPG
米沢市の春日山林泉寺です。米沢藩主の奥方や重臣たちの墓があることで知られています。

<直江兼続の墓>
shirinonagori431 (3).JPG
こちらが直江お墓です。
sn431ad.jpg
左が兼続で右はお船のお墓。夫婦で同じ形の万年塔です。この時代に男女が同じ場所に並べられている例は珍しいですね。

ということで
米沢独特の墓石のご紹介でした。

あくまで個人的な感覚の問題ですが、当ブログではお墓そのものの掲載は極力避けております。ただ、今回は米沢らしさを共有させて頂きたく、そのまま掲載させて頂きました。

shirinonagori431 (5).JPG
[撮影:林泉寺]
タグ:山形への旅
posted by Isuke at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9852540
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)