1、母親冨美子の正確な出自。冨は中華の女性と白人男性の間のハーフだという説がある。死後洗礼でというのは真っ赤な嘘。はじめからバリバリのクリスチャンである。
2、父親の正田榮三郎は群馬館林の出身という噂。終戦とともに当時の駐留軍と強い物資の供給のコネを持てたのはその筋の力であるという噂
3、祖父の正田 貞一郎は1949年(昭和24年)12月 - カトリック関口教会で洗礼を受ける。クリスチャン。1870年、明治3年生まれで何故79歳という高齢で洗礼を受けたのか?館林製粉会社を旧日清製粉の社名を買収して明治40年に変えたのはこの祖父。
4、美智子皇后は正式な意味で皇太子妃から皇后になられていない。
5、お印が白樺で、出会ったとされる軽井沢に多いという話だが白樺は寿命が70年程度の木で、縁起の良い木では無い。
6、正田家は財閥のイメージが強いが、本来の上流から見たら戦後の成り上がりの小金持ち。あの自宅も全く豪邸と言えない。だから物納して家を解体し公園にしたのでは無いか?という噂。
7、平成に入って美智子皇后が単独で海外に行かれたのは2002年(平成14年)9月28日 - 10月3日、スイス旅行。と2014年(平成26年)12月11日 - 12月13日、ベルギー訪問。両方共美智子皇后の強いお気持ちで行かれているけれど、行く必然性の無い訪問だった。私費で行かれたのか?公務で行かれたのか?
8、平成になって天皇陛下が祭祀をまともにやらずに代拝で済ますことが多くなった事を隠し続けていた事。特に皇后は祭祀に関わることは殆ど無い。御所で祈るだけ。
9、平成のなんちゃって公務の殆どが美智子皇后関連の趣味かキリスト教系施設の訪問。被災地には復旧も進まないうちに、自衛隊機をタクシー代わりに慰問。どれだけ経費を湯水のように個人的にお使いなのか?
10、神道を拒絶する美智子皇后は葉山御用邸近くの巨大な山を購入するそうで。そこまで神道の陵墓に入るのを拒む皇后など今までいない。しかも勝手に火葬と決める今上と美智子皇后。家族の問題では無い。国民の議論が必要なはず。
11、雅子さんが明らかに不出来な嫁なのに25年間放置し続け、全く神道の作法すら教えなかった意地悪姑の噂。
上記の資料は1993年の9月16日号の週刊文春全文。今から25年前。美智子皇后がもう露骨にキリスト教関係を優遇しはじめて「外国人記者」からツッコミを食らって、全て「ごめんあそばせ」で逃げ切った記事。
1993年(平成5年)10月20日、満59歳の誕生日に赤坂御所にて倒れるという荒業を使い、失声症でという「虐められている可愛そうな美智子様」イメージを完全に作り上げ、その後一切週刊誌では美智子さん批判を出来なくなったという、実質的な言論封鎖。
噂と事実を並べたら、噂と呼ばれるものが真実だと後日解るかもしれませんね。
今上天皇の陵墓がどこに出来、美智子皇后の自称祠のカトリックのシンボルハウスの建立。こういう人物が30年も平成という悪夢の元号で皇后をおやりになっていたということです。
皇室の腐敗は小和田雅子の入内から始まったのではありません。自愛の正田美智子さん入内から綿密に計算されていたのだと書き残しておきます。
雑音でも美智子皇后に伝えておきたい言葉です。
まず祭祀ありき。それが天皇という一族に課された宿命です。その伝統を貴女の意思で壊させません。
皇統は貴女の私物ではありません。正しい皇統継承者悠仁様に繋げてください。
今回の記事でトド子様が列挙された項目全て、私は事実だと思います。
民間妃であっても嫁ぎ先の家の風習、しきたりに合わせて自分を変えるのが当然で、特に皇室のように長い伝統で存在するのは世界に類を見ない特殊性の強い領域で、もうそこには歴代の皇祖神の御霊と神々のパワーで結界を張られてあるとみて差し支えないかと思われます。
そのような神域に異教徒の不届きな女が2人も入り込んだのは、まさに日本国体の危機です。
取るに足りない私ごときの感性にも、美智子さんへの違和感は長い間くすぶっていました。
装いと顔の変貌は「個人的趣味だろうけどあんまり美しくないなぁ〜」と思っていましたし、大きな 疑問は、マスコミの報道と今上陛下との距離感でした。
何かと言えば言い訳めいた記事が出る、公衆の面前なのに、何だか今にもラブシーンしそうな生々しい雰囲気…この2点は今でも変わっていないように思えます。
他の女性皇族方には無い状況が美智子さんには大いにありました(今も)。
美智子さんをここまでのさばらせたのは、本人の恐ろしき強情と我が儘ですが、夫の今上陛下があまりにも暗愚だからだと思います。
その次代である長男(実子?)は更に輪をかけた盆暗です。嫁は無能の異常性格者。
美智子さんも山を買ったり祠(教会?)を建てたり、あまり派手に浪費すると国民の声も雑音では済まなくなるのではないでしょうか。
長文乱文大変失礼しました。
あまりにも大きな痛みを伴うことにはなりましたが、すへては真に皇室が守られるための必然だったと思いたいです。
美智子さんは日本というより中国が浮かぶ人
雅子さんと高円宮家は日本というより韓国が浮かぶ人たち
日本人にはとても違和感を覚える雰囲気で、どんなに装ってもその違うという感覚が強烈。
みてこさんが武蔵野陵に墓を造りたくないのは、キリスト教信者たちがお参り出来ないからうんぬん。
そのため、莫大な国税で湘南に土地を買って、
キリスト教の信者たちが詣でられるように計画しているうんぬん。
ほんまかいな?
ふーん!!
それなら、墓所は木槿だらけにして差し上げまひょ。
韓国の塑像公園のように、
日本人の感覚からはえげつないが、
お隣の遺伝子からは喉から手が出るような
「塑像」を点在させてあげまひょ。
今なお、一族の神社を守り続けています。
新嘗祭と同じで、
お供えの御餅とお米は、専用の田んぼが代々受け継がれて、
一族が毎年順番で、稲作作りを行っています。
一族の名を冠した神社は、小さな社ですが、
古事記にもある主祭神の神社から、神主を呼び
社で祝詞をあげて貰い、祝いの宴が持たれます。
社の壁には、一族のそれぞれ戸主の名が掲げられていますが、男子限定。
こればかりは、憲法も男女同権も無関係で、伝統や祖先の歴史を守り続けるだけの事なのです。
田舎の旧家でさえ、たった一代でしきたりや伝統行事を破壊は致しません。
神仏を大事にすることは、日本人の伝統です。
罰が当たるという言葉は、深遠な日本精神なのです。
皇室と言えど、この精神には抗ってはなりませんし、あらがえない筈です。
この精神性を受け継がずに来た人だけが、何事も畏怖することなく
破壊できるのだと思います。
一枚目は老人特有の症状を露わにした香淳皇太后の車椅子を押す美智子皇后の写真。
二枚目はおそらくある行為の最中に隠し撮りをされただろう雅子妃に酷似した女性の写真。
一枚目に関して
週刊誌に香淳皇太后を見舞う美智子皇后として記事にはなりましたが実際にその該当写真が掲載されたかは記憶が曖昧です(すいません)。それに近い感じの晩年の香淳皇后と美智子皇后が手をつないでいる写真は存在しています。
二枚目に関して
一時期ネットに全体像(1枚の写真全体という意味で)が出回ったようですが今現在は検索不能です(私自身は見ておりません)。
二枚とも確たる出処と存在の証拠がなく曖昧で申し訳ありません。
この二枚の写真が公に出てきたらある意味で致命傷にはなりませんでしょうか? 出てきても(皇族としてのイメージダウン、即位阻止するには)もう遅いでしょうか?どなたか教えて頂けると有難いです。
蔵?って言うんですかね、醤油の樽とか小さいながら田舎にはあまりない洋館がありました。
まあ既に廃屋でしたが。
ま、さ、か、、、。
いつも考えさせられる記事ありがとうございます。
本日私は、武蔵野墓陵と多摩墓陵行ってまいりました。
参拝する人は無人に近かったですが、宮内庁と書いてある軽トラが停まっており、職員の方が参道を丁寧に掃除されており、また昭和天皇の墓陵では、石砂利をまた丁寧に均しておりました。
いつ皇族方が参拝なさってもいいようにと準備されているように見受けしました。
人も居なかったのもあり、君が代を口ずさみました所、不覚にも涙が出てしまいました。
自宅に戻り、今上陛下と美智子さん、皇太子、雅子さんの参拝回数と秋篠宮家の回数を調べてみた所、秋篠宮家が一番多かったです。
数字でみると改めて、今上、美智子さん、皇太子、雅子さんは鳥居がお嫌いなんだ再認識いたしました。
誰も知らない情報を御存知のトド子さんは裏情報の人脈が深いんですね。
正田家の家族写真の次男坊は秋篠宮さまに似てますね。