文字を持たない幼子は(続 幼児作品展より

 気付いてハッとした、これは文字じゃないんだ!!
 ”ヤクルトをこぼした”という画中の『乳酸菌』は、単なる模様。これを描いた子は5歳だからまだ漢字を習う前だろう。見えたままの、酉へんも草かんむりも意味を持たない線としてそこにあるだけ。

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 漢字として読めてしまうから、捉えられなくなる世界がある。

 それで思い出したのが、鶴亀算。大学時代、小学生の算数に頭を抱えたことがある。方程式を使えば簡単なのに、小学生はまだ方程式を習っておらず、鶴亀算で解かなければならない。方程式を知ってしまった私には鶴亀算の考え方に付いていけず、小学生はこんな難解な方法を操れるのかと驚愕した。自分もかつては使えたのだろうか、と。

 既製品の法則を持たないからこそ、幼な子は無限の方法で心を表現する。

 最もシンプルなのは色だろう。どうも大人は頭で分ろうとしてしまう。分からないと落ち着かないのだ。下世話な目で傾向を探った結果、喜びは暖色系、憂鬱は寒色系、驚きは黄色やグリーン。

 "ママ"と題された作品があった。一面くすんだ葡萄色に塗りつぶされていた。他にも母親を描いた作品は多く、赤、オレンジ、ピンクと明るい色使いだったのに、この絵は。展覧会の運営スタッフである友人が近くにいたので疑問をぶつけてみた。幼稚園で働いている彼女は、う~ん…としばし言葉を探してから、こんな事を話してくれた。

 紫という色を使う子には何か心の闇みたいなものを感じることが多々ある。彼女の幼稚園には子ども達の造形制作の指導に何十年も携わるベテランの先生がいるが、その先生は、絵の具を用意する時に、あえて紫色を出さないのだそうだ。ところがある日、ある子が「せんせぇ、むらさきいろを塗りたい」と言い出した。そこで先生は赤と青を混ぜてごらんと導いた。この子は前日に廊下で友達にぶつかった際に頬を酷く打ち、痛みが続いていて憂鬱な面持ちだったという。

 ところで話中のベテラン先生のエピソードが、私にはとても意外で驚いた。私も面識があり、この日も握手で挨拶を交わして下さったこの先生が、子ども達から常識に縛られない伸びやかで無限の表現を引き出せるよう心を砕いてこられたことを知っている。その先生があえて紫色の絵の具を排除していた、というのだ。この先生でさえこんな操作を加えていたなんて。
 紫を使ってほしくない…長年子ども達に寄り添ってこられた先生の、それは唯一独善の願いか。
 或いは幸せな大人になれるよう、私達に、嫌な事があっても安易に紫な気分だと諦めるのではなく、赤と青に分離し解消してしまえる心の道筋を模索させたいのだろうか。