創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

苦境が教育のチャンス

2020-04-01 04:27:48 | Weblog

 おはようございます。

 中村師匠は富士通全体のシステム部門の責任者でした。社内外に付き合いが広く、幅広い歳の個性的な人を赤坂のクラブに連れて来て、私に紹介してくれました。当時、富士通の冬の時代、関連会社は氷河期でした。師匠は障碍者なのに日本中飛び回り、2度ほど脳梗塞を再発しました。

 前回の新会社を作った人の趣味は師匠と同じ、高級な音楽と芸術。その人は本をスキャンし、CDとホームページで販売する事業を考えたようです。時代の先を行っていて、意思決定の遅さに我慢できず、娘の入社時に富士通を退職し、マルチメディア出版社を始めていました。

 当時、富士通は選択と集中を進めリストラの最中でした。工場や地方のSE会社に勤務していた人は大変でした。工場やシステム部の同期入社の人がそれぞれの部門のリストラを推進していて、再就職斡旋の話を聞きました。

 中村師匠は定年になり、校長を退職し、顧問になり、工場に毎週来ていました。起業した人や付き合いがあった中小企業の社長さんと面談しましたが、工場ではなく、師匠が関連会社の社長をレストランに連れて来て、御馳走になりました。多くがサービスに進出し成功したようです。

 師匠のかつての部下から富士通会員の勉強食事会の講師に招かれ、私の教科書を1冊配布する条件で2回1時間参加。捲土重来を目指す集まりの息抜きの前座でした。彼らに師匠の支援もあり、多くが復活し、潰れた話は聞きませんでした。サービス事業の時代の波に乗りました。

 傍ら師匠は若い人への心得を富士通社内ホームページに連載。私にコピーをくれました。素晴らしい内容でした。その資料は私にコピーライトがなく、皆さんに差し上げられないのが残念です。

 娘の就活のお世話になった人を訪問したのは、高校で情報クラブを作った時、数年後でした。親の遺産かもしれませんが、日暮里駅近くのビルの最上階に上等なマルチメディアの機器を並べ優雅に仕事をしていました。

 高級オーディオ機器の音楽を聴き、富士通の紙の教育資料を作り、日銭を稼ぎ、CDやDVDのマルチメディア情報の販売。今はその会社の社長をどなたかに引き継ぎ、その環境を楽しんでいます。不動産の賃貸事業をしていると思います。

 彼が作った富士通の子会社は地方の顧客やSE会社に便利なゆりかもめの天王洲アイル駅前に引っ越し。娘の仕事はユーザ現場に出張し講習する班。全国のSEが資料を書き、娘が教科書に編集し制作しました。この教育事業は、全国の人材を上手く活用し大成功しました。

 その教科書を師匠から頂き、私の絵や説明が全国のSEに根付いたと嬉しくなりました。もっともそれは岩井麟三さんが小型機やOA事業を取締役会に提出した資料の絵や説明でした。

 師匠は私のSE向けインターネット講習会が役立ったと言いました。でも岩井さんの指導のお陰と縁が大元。師匠の部下で教育事業をしていたら、会社と人のお役にたてたかも。でもアホの私は30年先など読めません。南無大師金剛遍照。

 今日はここまでにします。

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