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富士山を見て

2019-12-13 04:19:37 | Weblog

おはようございます。

 私の視覚は富士山で磨かれたのかも。成城学園から5分の畑の中に6歳から住み、祖師谷大蔵駅から6分なのに周囲は肥溜めだらけ。梅雨の雨の日の家の前に蛆の行列もありました。1分も歩けば綺麗に富士山が見えました。

 結婚し幸いにも、転勤した先輩の町田の公社団地に住めました。ベランダから大きな富士山が見えました。東京西部は冬型気圧配置だと快晴になります。真っ白な富士山。百人一首の昔の歌も思い出しました。

 山部赤人の富士山の歌は万葉集の歌の方が素直で良いと言う人が多いようですが、古今集や藤原定家が選んだと言われる小倉百人一首の歌が私は好み。雪が降りけりは論理的におかしいと言われていますが、私は見えない白い富士山を見ようとします。

 甲斐の城址公園から見える富士山が良いと言われていますが、真っ白い大きな富士山は静岡方面からしか見ていません。甲府側には夏場に行っているようです。富士山を見た覚えは奈良勤務時代の東京と千葉への里帰りと出張でした。

 毎年里帰りのため東名を車で走り富士川あたりから真っ白い富士山を見ました。同乗者家族3人は転寝の時。運転手は緊張して脇見できず、東京出張の新幹線の車窓から見た富士山の方が良く覚えています。

 往きは朝日を浴び白く輝く富士山、帰りは薄暗い赤い富士山。でも疲れが取れました。柏に転勤し、逆のコース。早い時間帯になり、早朝の輝く富士山を見られました。帰りはビールの時間の暗闇でした。

 シャープ幕張ビルが建ち、異動。混むのが嫌で7時に出勤し、9階の休憩コーナーでコーヒーを飲み休憩しました。冬場の早朝は都心も空気が澄んでいます。9階から青い東京湾の向こうに真っ白い富士山が見えました。

 今は松戸です。元旦の朝日に輝く富士山と夕日を背にした富士山が見える日蓮宗のお寺に行きます。崖側のお寺の墓地からもう真っ白に見えます。夕方は都心の空気が汚れ、霞んで見えない時もありますが、三が日はまず大丈夫です。

 富士山は真っ白でないと富士山らしく思えません。父母も義父も日蓮宗のお墓の中です。正月はお寺でお賽銭をあげ、家に戻ると万葉集、古今集、新古今集、百人一首の富士山の歌を思い出しています。

 妻は私以上の富士山マニア。昔は千葉駅近くからも見えたそうです。1年に1回は白い大きな富士山を見たいようです。来年の早春に熱海か修善寺に行き、三島で下り見たいと思っています。

 今日はここまでにします。

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