バドミントンが拓くあなたの未来

部活と勉強の両立が生きる力を育みます
鈍感と根気が継続の秘訣です
後はケセラセラ、チャンスを待てば良い

マレーシア留学生が抜群

2019-07-24 04:23:51 | Weblog

 家に来た息子の高校と大学のバドミントン仲間には天才がたくさんいました。中でもマレーシアの留学生が大人物でした。プレイはシデク兄弟のようにスマッシュが強烈。研究テーマは母国からもらった原子力でした。彼を私は好きになりました。

 彼は中国系、実家はマレーシアの中華店。親から中国語、義務教育でマレー語、中高で英語を勉強。英語はネーティブ並み。他言語は私が理解不能。マルチ言語能力は子供の時に身に付けるのが最善です。日本の専門学校1年で日本語を上手に話せました。

 私たちは彼と食事し、色々な話を聞き、マレーシアに行きたくなりました。息子は彼の里帰りに合わせ、実家にも泊まり、国中を観光。私たちはその次の年にパック旅行し、お土産を沢山買いました。ペナン裏街道と紅茶畑が強く印象に残っています。

 博士号を取った彼を中国が高給で誘いましたが、行きませんでした。マレーシア留学生と結婚し、2年ほど京大のポスドクになり、その後阪大の先生になり、私は嬉しくなりました。上京時にうちにバドに来てくれました。今は日本語を日本人学生に教えています。

 息子が大阪出張時に彼と奥様と食事をし、素晴らしい奥様と言っています。奥様が中国行きを止めたのが日本はラッキーでした。母国への奨学金返済がまだ大変でしょう。先月も彼が上京時に息子とバド仲間と食事会をしたそうです。今でも彼らは大の仲良しです。

 彼が推薦したマレーシアの後輩留学生も素晴らしい人でした。彼は東大理物の博士課程で素粒子を研究し、就活しました。希望テーマを研究できる場が日本で見つからず、チューリッヒ研究所に行き所長面接。反物質の質量を研究したいと言いました。

 所長は即採用。スイスの給料は日本の3倍ほどか。赴任前に数回バドに来ました。スイスが彼に最善でした。でも日本と東大は大損失でした。日本への出張時にお土産を持ち挨拶にも来ました。義理堅い人です。今も元気に研究していると思います。

 当時、私は高校の非常勤。私の指導例文を彼がいくつか英語と中国語に翻訳してくれました。海外からの留学生に魅力ある研究の場を与えられない国の未来を悲観しています。でもヨイヨイはブログに愚痴しか書けません。南無大師金剛遍照。


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