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菊水が美味しい

2020-09-04 11:56:51 | Weblog

 先週、菊水を梨農園で頂き、初めて食べました。美味しいの何のってびっくり。大病し入院するまで夏になると梨農園に毎年行っていました。

 幸水、豊水、新高、あきづき、新興の美味しさはよく知っています。それぞれの味や食感に違いがあり、8月初めから11月まで近隣の農園に行くと美味しい梨を何回か楽しめます。

 終戦直後生まれの私の小さい時は梨と言えばまず20世紀と長十郎。関東の梨はほとんど長十郎、固くて食べ応えがあり好きでした。当時、おやつに欠乏していても梨とスイカは夏には食べられました。世田谷でも栽培されていたのかも。

 柏に転勤し、周辺に梨畑や農園がたくさんあると知り、直売の旗が立つと農園に行きました。35年ほど前。梨が美味しくなったと驚きました。それから毎年、色々な品種の梨を食べてきました。そして菊水の美味しさに驚きました。

 先週、松戸の梨園に行き、菊水を頂きました。幸水と豊水の美味しさがあり、最近に品種改良された梨と思いました。梨の品種改良に興味を持ち、ネットで食材情報のサイトやウィキをアクセスし、色々勉強できました。

 意外や意外、菊水は昭和2年に認定された古い品種。幸水や豊水の親かおじさん。やや小粒の実。実は多くはできません。形も綺麗な球体になり辛く、見栄えはもう一つ。商売になり難い、絶滅危惧の品種かも。高代園は数少ない栽培農園か。

 梨の品種改良を各所の農業試験場が行っているようですが、実がなるかは品種の組み合わせがあり、自然に品種改良されることが多く、DNA解析し、最近、祖先が分かるそうです。誰が何時何処で作ったか、難しいようです。

 菊水の名前は色々な説があります。昭和2年なら日本の男の多くが根っからの右翼でしょう。それが明治維新からの教育効果。菊水は楠正成由来と私は勝手に信じました。

 私の父は明治生まれ、天皇陛下万歳と言って特攻したかった男。でも戦前から平和主義、個性尊重の成城学園高校に勤務と3人の叔父が保証していました。楠正成に因んだ命名と思って間違いはないでしょう。

 父の小学校は麻布。同級生は皆、一連隊員。二二六事件に参加。中国戦線に派遣され、何度も渡河作戦。部隊が全滅する度にまた現地で招集。全員二度と麻布に帰って来られませんでした。生き残った父の夏の口癖でした。

 色々言われる二二六事件の一連隊の一兵卒の話は嘘が多く、全員中国で戦死。父も徴兵を志願し、生きていては同級生に済まないと思ったそうです。病気が幸いし、兵役検査で丁種合格、国に尽くす道は色々あると諭され、兄が生まれ喜び、お腹の中に私もできました。終戦直後に私は誕生。

 父の同級生や特攻隊のお陰で平和な70年があったと私は思います。本当に良い時代でした。さて安倍さんが病に倒れ、菅さんでどうなるか。神のみぞ知る。南無大師金剛遍照。父のために南無妙法蓮華経。

 

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