日々の楽しみの大切さを想う

私自身、毎日このブログを書くために色んなところからネタを探しているので、パソコンの前で何を書こうかと思いながら過ごす時間が多かったので、今のご時世で外に出られない期間が長く続いてもそこまで精神的なダメージはないのですが、そうではなく普段家に籠もった生活をしてこなかった人たちのストレスたるやかなりのものがあるようで、昨日たまたまスーパーに買い物に出掛けた時に、お店の人にかなりの迫力で怒鳴りつける中高年あたりの男性を目にし、感染症も恐いものの、人間の感情の変化というものはどこで爆発するかわからないし、そうした人とコミュニケーションする場合の恐さというものを直接ではないものの感じてしまいました。

トラブルが起こった時を見ていた人に聞いたところ、最初はお店の方の対応に気に入らないところがあってクレームを入れていたらしいのですが、それが急変して大声を出す事になってしまったのだそう。ただ、それだけ怒鳴られるほどその店員の方はひどい仕打ちをその男性にしていたかというと、恐らくそうではなかったのだろうと思います。

ちょっとしたことで怒りやすくなり、その怒りを直接反撃できない人に向けるというパターンは昨年以前にも見たことはありましたが、今回の新型コロナウィルスの騒動によってある人達は行動の自由が制限され、気ばらしに出掛けることも、パチンコにも映画館にも、飲みにも行けないような状況の中で、検察のトップのエライお方がハイヤーで送り迎えありの賭け麻雀を楽しんでいた(しかもパチンコ屋に行く人に大いなるバッシングをしていた大手マスコミ記者のお宅なんだというから呆れる他はありません)なんて報道が出てきたら、自分もその怒りを発散したくなるという気持ちは少しはわかります。

しかし、スーパーの店員さんは恐らくパートタイマーで、仕事はあるものの不特定多数の人々がお店を利用する中、少なくなったとは言え新型コロナウィルス感染の危険をおしての業務を行なっているのですから、そこで大立ち回りをするのは全く方向が違う怒りの発散なわけで、私自身こういった体験を反面教師として、一部ブログを書く中でガス抜きをしながら、いかに健全に生活をしていくかということを考えてみたくなりました。

先日、テレビ番組に五木寛之氏が出ていて、どんな悲惨な状況の中でも生活の中に少しのユーモアを持っていくことの大切さについて力説していました。五木さんが例に挙げたのはドイツ軍がユダヤ人に対して行なっていた収容所での生活の中でもその悲惨な状況の中で自分のお子さんにただただ恐怖を与えるのではなく、その子をできるだけ楽しませようとする母親(だったかな?)の話で、イタリア映画の「ライフ・イズ・ビューティフル」とシンクロするような話でした。

今の状況はそこまでひどくないと思う方もいるとは思いますが、100年続いた高校野球がこの夏も中止になりますが、これまでの100年の歴史の中で戦争以外に中止になったのは1918年の米騒動の時だけで、今回の新型コロナウィルス騒動がいかに歴史に残る悲惨な人類にとっての危機であるかという証明にもなるでしょう。実際に感染すれば命の危険もあります。しかし、そうした状況にあってもその中での自分の楽しみというものは常に持っていたいと思います。

今の世の中はリモート会議とか飲み会とかインターネットを使ってのコミュニケーションを前面に推すようなテレビ番組が多いですが、インターネットはそうしたコミュニケーションだけではなく、別の楽しみもいくらでも見付けられます。今これを書きながら今年のお正月に行なわれたウィーンフィルのニューイヤーコンサートの再放送を見ていたのですが、素晴しい音楽や芸術にテレビやネットを通じて触れるのも悪くはありません。そうした工夫をしながら、楽しいひと時を持つことをぜひ皆さんも考えていただきたいと思います。


カテゴリー: ノンジャンルコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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