【栃木・宇都宮市】大谷寺 日本最古の磨崖仏は必見 | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

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2020.12.24

 

この目で見たかった

大谷寺の磨崖仏

 

地下の巨大空間の大谷石採掘抗が

現代のアートならば

大谷石の磨崖仏は日本最古の芸術

 

大谷寺の磨崖仏

こちも必ず見たかった!!

 

大谷石の山を背後に背負う大谷寺

この景色にすでに感動!!

 

山門は朱色があざやかな

仁王様が出迎えてくれる仁王門

 

一変、観音堂は

歴史を物語る木の重厚感

天開山千手院 大谷寺(おおやじ)

天台宗

坂東三十三箇所第19番札所

御本尊:千手観音

大谷磨崖仏として国の特別史跡、重要文化財(彫刻)に指定

 

大谷寺の由緒はちょっとロマン!!

(長くなります)

その昔、辺り一帯は大小の岩が屏風のようで

その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれ

岩下からは水が湧き出して川となり、

自然が作った城のようでした。

この中には住む毒蛇は毒水を流し出し、

これに触れると鳥獣虫魚が死ぬため、

ここを地獄谷と呼んでいました。

人間もこの水に触れると病気や死に至り、

五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみ

この地を捨てようとしていました。


時に大同、弘仁(810年)の頃、

弘法大師が東国巡錫の折この話を聞き、

うれいを除こうと毒蛇の谷に入りました。

人々はこれを聞いて喜びました。

十余日の後、谷から大師が出てきて、

毒蛇を退治したと告げ立ち去りました。


人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、

高い岩山に千手観音が彫ってありました。

観音の光明は山谷を一面金色に変え、

人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、

観世音に帰依して仏教を信仰するに至りました。

これが大谷寺の始まりです。

 

今も観音堂にせり出している山肌は

地獄谷の名残りが思われます

 

大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)

残念ながら中は撮影禁止です!!

というわけで、写真はHPより拝借。

 

磨崖仏は、千手観音像、伝釈迦三尊像、

伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像の4組10体の

石心塑像が4区に分かれて彫出されてます。

千手観音(高さ4m)は、

平安時代(810)弘法大師の作と伝えられています。

古くから大谷観音と称され、

鎌倉時代に坂東19番の霊場となりました。

最初、岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、

粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、

一番表には金箔が押され金色に輝いていました。

最新の研究では、バ―ミヤン石仏との

共通点が見られることから、

実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、

日本のシルクロ―ドと考えられています。

千手観音像は思ったより大きく

大谷石の凄さををより一層感じました

 

御朱印

 

観音堂の奥にある弁天堂

 

人々を苦しめた毒蛇

弘法大師の秘法で退治された後

改心して白蛇となり

弁財天におつかえしてます

 

またまた一変

観音堂から徒歩2分のところ

平和観音がそびえ立ちます。

もちろん大谷石の切りおとし。

昭和20年代築造

高さ27m

 

 

おまけ

近くで見かけました

 

大谷元観音

 

名前もわからない小さい神社

鳥居も祠もすべて大谷石

 

狛犬はお顔が風化していて

大谷石らしさを実感できました!!