2019年9月14日土曜日

初の査読付き論文出版

嬉しいニュースがあったので、久しぶりの投稿です。
9月12日、昨年ANUのインターンシッププログラムANIPの際に執筆した論文が、ある学術論文誌において出版されるという報を受けました。

このジャーナルは南太平洋諸国の大学(The University of the South Pacific)運営で、インパクトファクターが高いとは言い難いです。しかし、①人生初の査読付き論文であること、②自分一人で書いた単著であること、③多忙な仕事の合間を縫ってリバイスしたことから、出版が決まり嬉しかったです。

ANUシンクタンクのアソシエイトとしての出版にすることにしました。研究所のマネジャーに連絡し、恩師の研究所長に伝えておいてほしいと依頼しました。当時のスーパーバイザーは世界銀行シドニー事務所に転職したため、実際に出版されたら報告しようと思っています。

現在の仕事でなかなか苦労していますが、こういう嬉しい知らせがあると元気が出ます。戦って負けることも少なくないですが、たまに勝つから、また頑張ろうという意欲が出ます。色々チャレンジし、戦い続けることですね。


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2019年5月18日土曜日

仮説は重要だが...

開発援助機関に勤め始めてから、あっという間に2か月半が経った。開発援助機関の担当官として国際協力を実行するに当たり、仮説というものは大事だが、同時に、担当官は仮説を進化し続けなければならないと思う。

国際協力を行ううえで仮説は重要だ。例えば、技術的な協力だけで良いのか。技術協力とともに専門家を派遣して行政への支援を行うべきか。いずれの選択肢を選ぶにせよ、プロジェクトの担当官は仮説を持って任務を遂行しなければならない。

しかし、一つの仮説に固執してしまってはならない。昨日まで技術協力だけでよかったかもしれないが、今日からは行政への支援を行わなければならないということもあるだろう。担当官はプロジェクトを進めながら、自分の仮説に疑問を抱き、改善し続けなければならない。

我々担当官は、国際協力の行政官であって、理論を生み出す研究者ではない。一つのプロジェクトでさえ仮説は変わるのだから、異なる国、異なる時代によって、国際協力の手法は変わると考えるべきだろう。同じ手は二度と使えないと想定しておくべきだ。自戒を込めて。


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2019年5月1日水曜日

卒業ビザ -- サブクラス485

オーストラリアの大学院を修了後、さらに2年間豪州に滞在するための「サブクラス485」、いわゆる「卒業ビザ」を昨日取得することができました。

私の仕事は豪州外なのですが、妻がブリスベンで私の配偶者ビザにて働いているため、豪州滞在ビザを維持することにしました。

申請したのは1月13日なので、取得まで3か月以上かかったことになります。この間の出入国はブリッジングビザで行いました。

このビザを取得するために、エージェントにお金を払う人もいるようですが、私は全て自分で行いました。

もしこのビザの取得に関して不明点等ある方はお尋ねください。エージェントを使おうが、私に尋ねようが、自己責任ではありますが…

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2019年3月3日日曜日

おしごと

こんにちは、Ryoです!今年初めてのブログになります。3月1日より、ある開発援助機関にて働き始めました。国際協力のスタート地点に立ちました。

3月1日は初日でしたので、人事関係、パソコン・プリンタの設定、簡単な打合せが一つでした。

大学院で学ぶことと、開発援助機関で学ぶことは大きく違うでしょうから、二日目となる明日3月4日以降がとても楽しみです。

この機関とは最長3年の契約なのですが、その間、どん欲に多くのことを学ぶとともに、僅かでも途上国の貧しい人たちの役に立てればと決意を新たにしています。

仕事の内容はブログにできないことがほとんどだと思いますが、仕事以外のことで気付き等あればブログ更新しますね!

2018年12月16日日曜日

「人間の経済」宇沢弘文

「人間の経済」は日本の経済学者である故宇沢弘文が晩年に著した本である。本の構成は整っているとは言い難く、宇沢の人生の中で心の中に積もったわだかまりを箇条書きにした感が否めない。ただ米欧日で経済学に従事した彼の遺言と捉えれば、その話題が広範に渡っていることも理解できる。


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宇沢は最初医学部を志し、数学科に転じ、最後に経済学に行き着いたという経歴の持ち主だ。医学が人を治療する学問であるのに対し、経済学は社会を治療する学問であると考えたという。しかし、彼は現代経済学の意義について懐疑的であり、彼自身が自分の人生の選択に悩み続けたようだ。

経済思想という意味では、ミルトン・フリードマンに代表される市場原理主義に対する批判が手厳しい。市場原理主義はあらゆるものの価値をお金で測ろうとし、お金を儲けるためには何をしてもよいという思想だという。日本の市場原理主義として小泉・竹中政権を批判している。

気候変動対策という意味では、排出権取引制度を痛烈に批判する一方、炭素税を推奨している点が興味深い。排出権取引は最初の排出権割当次第で売り手と買い手が決まる非倫理的で社会正義に反する制度であり、炭素税制度の方が公平だと主張する。前者を提案するアメリカを批判している。

このほか米欧日の医療制度や教育制度など、宇沢の関心は幅広い。経済制度に対する彼の考え方を理解するには、彼の代表作「社会的共通資本」を通読する必要があるかもしれない。ただ、彼の遺書ともいうべきこの著書を通じて彼が訴えたかったことは、人間の心が最も重要だということだろう。

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「貧乏物語」河上肇
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2018年12月15日土曜日

「貧乏物語」河上肇

「貧乏物語」という本は、日本の経済学者である故河上肇が、1917年に新聞への連載を一冊の本にまとめて出版したものである。どこで聞いたのか忘れたが、日本で開発経済学を志す者はこの本を読むべきだとされていたのを思い出し、最近になってようやく読んだ。良書である。

この本は上・中・下編の三部構成であるが、上編のーの二において、河上は「われわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。その一は肉体であり、その二は知能であり、その三は霊魂である」という。肉体的側面の検討に偏りがちな経済学に意識的か無意識的か批判を加えている。


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上編では、知能と霊魂は測定不可能であるから、肉体を維持するために必要な所得を得られない者を貧乏人と定義する。そして、貧乏人が世界一の富裕国であるイギリスにも存在し、世界的な課題であることを指摘する。客観的に貧困の現実を評価することを試みている。

中編では、貧困問題の原因は、富裕者が贅沢品を需要することにあるという。機械の発達により生活必需品の生産能力は十分なはずであるが、購買能力を伴う需要というものは生活必需品に対するより贅沢品に対する方が旺盛である。そして民間部門に生活必需品の生産を任せることに疑問を呈する。

下編では、貧困問題の解決策を三つ提案する。第一に富裕者が贅沢を慎むべきということ。第二に所得再分配をすべきということ。第三に生活必需品を政府部門が生産すること。贅沢と必要の区別は相対的だとしたうえで、富裕者の自制によって解決される第一の策を特に重視している。

この「貧乏物語」は、当時の日本やドイツが全体主義に傾倒してゆく過程を明らかにするだけでなく、現代経済学が、知能と霊魂の重要さより、肉体・物質・金銭的な側面だけを重視していることを気付かせてくれる。河上は、富裕者や指導者たちの霊魂に特に期待しているように思う。

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2018年12月14日金曜日

入学と卒業

今日はANUの卒業式です。クラスメイトの多くは卒業式に参加し、少数はすでに帰国して仕事を再開しています。僕はといえば卒業式への参加を見送りブリスベンで読書に励んでいます。昨日あるクラスメイトが卒業名簿をシェアしてくれたので入学名簿と比較しておきたいと思います。


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2017年1月の経済系の入学名簿には68名が登録されていました。しかし2018年12月の卒業名簿には57名のみが記載されています。ざっと目を通したところ入学同期6名のクラスメイトの名前がありません。1名はパートタイムに移行、1名は自主退学、4名は落第だと思います。

政治系の学生の中には精神的に病んでしまい大学院に来なくなった人もいます。

もちろん1年制、1年半制、2年制の選択によって卒業時期は異なります。一概に入学と卒業人数が同じとは言えないのですが、毎年1年制、1年半制も同程度の人数が入学し、退学・落第がないならば、入学と卒業はほぼ同人数になるべきです。57名には卒業時期が遅れている人も含まれています。

つまり同時期入学のクラスメイトの約10%は退学・落第に追い込まれているということがわかります。ANUに関する限り、外国大学院の入学は容易いけれども卒業は難しいというのは偽りではないようです。卒業生の活躍に期待する大学院側は決して学生を落第させたい訳ではないと思いますが。

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2018年12月12日水曜日

車保有税の減税

日本のニュースは新聞社の無料配信メールなどで毎日フォローしています。スポーツ以外であまり良いニュースを目にしませんが、最近違和感を覚えたのが車保有税の減税政策です。日本政府は環境を少なからず害する自動車を国民の必需品と考えているのでしょうか?

来年10月予定の消費税増税の景気下押し効果を軽減することが政治的・経済的な目的でしょう。自動車1台当たり最大4500円、総額1300億円規模の車保有税の減税を日本政府が検討しているというニュースを12月7日に聞きました。その後、日本国内で大きな反対もないようです。

このニュースに僕が違和感を覚える理由は、自動車の新規購入・買換を促進するこの減税政策が、世界の気候変動対策の強化の流れに逆行しているということと、自動車を国民の必需品だとみなしているように思えてならないことです。

軽自動車であれハイブリッド車であれ、自動車は二酸化炭素に代表される温暖化ガスを排出します。電車やバスなどの公共交通機関の方が、温暖化ガスの同一距離当たり一人当たり排出量はかなり小さいはずです。環境より経済を優先した政策といえるでしょう。

自動車は必需品でしょうか?確かに公共交通機関が不十分な地方もあると思いますが、今回の減税は都市部にも適用されるようです。貧富の差の是正という観点からすれば、所得の低い人は自動車の保有とは無縁です。貧しい人より中間・富裕所得層向けの政策と考えられます。

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環境より経済、貧しい人より富んだ人、を優先する政策が簡単に制度化されることに僕は違和感を覚えます。同時期にルクセンブルグでは公共交通機関の全面無料化が検討されています<http://time.com/5472079/luxembourg-free-public-transport/>。ちなみに日常生活品にも適用される消費税増税自体も貧しい人により厳しい政策ですね。

2018年12月7日金曜日

キャンベラの無印良品

今までキャンベラにはなくブリスベンにあるお店をご紹介することが多かったので、その逆がないか考えてみました。ありました、無印良品です。ブリスベンに無印ストアはない一方、今年8月に無印ストアがキャンベラセンター内にオープンしています。

なぜ、無印良品がブリスベンになくキャンベラに先にできたのか、理由はわかりません。通常のマーケティング戦略に基づけば、人口が多く人口成長率も高いブリスベンへの出店が先になりそうな気がします。キャンベラは人口も少ないし人口成長率も低いと思います。

ただ、無印良品はキャンベラセンターの中のブティックコーナーに出店しているんですよね。ユニクロより高級路線だと思います。キャンベラへの出店が通常のマーケティング戦略というより高級ブランド戦略に基づくものだとすれば、なるほど、と合点がゆきます。

僕は無印良品でソックス2足を買った経験しかありませんが、品質が良く、価格も高過ぎはしないと思います。無印のソックス1足5.95豪ドル、ユニクロは1足5豪ドル程度なので、無印が約1−2割高い。僕には生地の分厚さが気持ちいいですし、何より生地が強いように思います。


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ブリスベンにはなく、キャンベラにある無印良品ストア。高級ブランド戦略?に基づいて、同じ日本ブランドのユニクロと競争または補完し合う形で、オーストラリア全土に店舗展開してくれると、オーストラリア人だけでなく、在豪日本人にとっても大変ありがたいです。

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2018年12月6日木曜日

孔子と老子

日本語の文章への飢餓感があり、キンドルで日本語の本をいろいろと読み始めています。むかし友人が勧めてくれた「老子」を蜂屋邦夫氏訳で、「孔子」の論語を金谷治氏訳で読みました。レビューを参考にしましたがどちらも岩波文庫です。

孔子を読んだというのは正確ではなく、途中でギブアップしました。論理展開が理解できないのです。なぜ、仁(愛情)や礼(礼儀)が大事なのか?はっきりしない。孔子やその弟子が発した言葉だから重要だと思わされているようでなりません。

一方、老子はスッキリと読了しました。天地を創造した道が廃れたから、仁義が説かれるようになった。知恵が働くから虚偽が行われ、家族が不和だから孝行が重要視され、国家が混乱してから忠臣が現れた。老子は仁や礼は二義的なものだと言います。

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特に、老子が知恵に信頼を寄せることを嫌っている点が興味深いです。君主が知識のある者を登用するから過度の競争が生まれる。知識は国を治める重要な要素ではない。老子は競争的社会よりも、自給自足型社会を勧めているようです。

また、老子はテクノロジーについても否定的です。僕が大学院で学んだことに経済成長の源泉の一つは技術進歩ということがありますが、僕も行き過ぎた技術進歩に懐疑的です。テクノロジーは生活を便利にしますけれども、人々を幸せにするのでしょうか?

老子曰く、優れた士は、掴みどころがなく、何事にも通じており、人の深さは計り知れない。僕の解釈では、名君や聖人というものは民衆に統治されているという実感をもたせず、のびのびと安心して暮らせるような環境を調える人物達だということです。

孔子は形式ばかりを気にしているように思えますが、老子は幸せな社会とは何かという本質を突いているように思います。上善如水。日本酒ではありませんよ。水のように低い姿勢で柔らかく生きることが重要だという老子の教えに惹かれています。

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