ソフトバンクの歴代ドラフト1位

ソフトバンクの歴代ドラフト1位!

ソフトバンクからドラフト1位指名で入団した選手の活躍した選手と活躍できなかった代表例を厳選してみました。

ソフトバンクといえば、投手を中心としたドラフトが目立ち、2011年の武田投手以降8年連続で投手を1位指名していますね。

若手と即戦力をバランスよく獲得し、常勝軍団を築いてきましたからドラフト1位では活躍した選手が多い印象です。

それでは、南海、ダイエーも含めたホークスの歴代ドラフト1位で活躍した選手、失敗した選手15人を紹介します。

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ソフトバンクの歴代ドラフト1位【活躍】

ソフトバンクの歴代ドラフト1位で活躍した選手はこちらです!

城島健司

1994年ドラフト1位で入団
通算成績(NPB):1323試合/打率.296/244本塁打/808打点/72盗塁

ダイエーの黄金時代を支えた名捕手、城島選手。

3年目の1997年に開幕一軍入りすると、その年に正捕手に定着し、打率.308、15本塁打と強打の捕手としてブレイクしました。

その後も正捕手そして主軸打者として活躍した後、メジャーリーグのマリナーズでも正捕手として活躍するなど日本を代表する捕手になりましたね。

捕球後座ったまま二塁送球したり、一塁へ牽制球を投げる強肩ぶりは多くの野球ファンを魅了しました。

斉藤和巳

1995年ドラフト1位で入団
通算成績:150登板/79勝23敗/防御率3.33

二度の沢村賞を獲得した、「負けないエース」の斉藤和巳投手。

甲子園出場のない無名校のエースながらも、190センチを超える高身長と潜在能力を期待されドラフト1位で入団しました。

入団後数年は右肩痛にも苦しみ、野手転向を打診される時期もありましたが8年目の2003年に20勝を挙げるなど大ブレイク。

その年に沢村賞を獲得すると、2016年には最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率などのタイトルを総舐めし二度目の沢村賞に選ばれました。

その後も怪我に苦しみ、通算は79勝ながら通算勝率.775の「負けないエース」としてチームを支えました。

井口忠仁

1996年ドラフト1位で入団
通算成績(NPB):1915試合/打率.270/251本塁打/1017打点/176盗塁

走攻守三拍子揃った最強の二塁手、井口選手。

2年目の1998年にレギュラーに定着すると、打率.221ながら21本塁打を放つなど恐怖の9番として定着しました。

2001年にはショートからセカンドへコンバートし、自己最多の30本塁打を放ち、さらに44盗塁で盗塁王を獲得するなどパ・リーグを代表する選手へ成長。

その後はメジャーでも活躍し、日本球界復帰でロッテ入りすると2013年には日米通算2000安打を本塁打で決めました。

現在はソフトバンクのライバル、ロッテの監督ですが、いずれはホークスに戻ってきてほしいですね。

若田部健一

1991年ドラフト1位で入団
通算成績:271登板/71勝75敗/防御率4.15

細身で長身、イケメンの若田部投手。

ドラフトでは4球団が競合するなど注目の存在で、1年目の1992年から先発ローテーションに定着しました。

27試合の先発で10勝13敗、完投13と奮闘しましたが惜しくも新人王は逃し、優秀新人賞としてパ・リーグ特別表彰を受けました。

通算は71勝でしたが、制球力の光る投球でダイエーの初優勝、連覇に貢献しました。

山内和宏

1980年ドラフト1位で入団
通算成績:326登板/97勝111敗/1S/防御率4.30

口髭がトレードマークの山口和宏投手。

1980年に南海から1位指名を受け入団すると、1年目から先発に定着し3年目の1983年には18勝を挙げ最多勝を獲得しました。

山内新一投手、山内孝徳投手と「山内トリオ」として活躍し、血行障害を患うまで先発の柱として南海・ダイエーの変遷期を支えました。

藤田学

1973年ドラフト1位で入団
通算成績:213登板/72勝65敗/1S/防御率3.88

力あるストレートとブレーキの効いたカーブが持ち味の藤田学投手投手。

ドラフト1位で入団するも、当時の野村克也監督の方針でじっくり二軍で鍛えられました。

すると、3年目の1976年に11勝3敗、防御率1.98の好成績を残し新人賞に選ばれブレイクしました。

その後2年連続で16勝を挙げエース格として活躍しましたが、怪我の影響で肥満化が進み1986年に引退。

2009年から10年間ホークスのスカウトを務めましたが、2018年に退団し現在は台湾リーグの投手コーチをしています。

今宮健太

2009年ドラフト1位で入団

日本球界を代表するショートストップに成長した今宮選手。

高校時代には甲子園で最速154キロを計測するなど、投手としも活躍していましたが、身体能力の高さを買われ内野手として入団。

当時は不動の遊撃手、川崎宗則選手がいたこともあり、持ち味の守備力を生かして守備固めなどで一軍に帯同していました。

しかし、川崎選手のメジャー移籍後の2012年からレギュラーに定着、2013年にはゴールデングラブ賞も獲得するなど守備の名手として日本を代表する選手へと成長しました。

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ソフトバンクの歴代ドラフト1位【失敗】

ソフトバンクの歴代ドラフト1位で失敗した選手はこちらです!

巽真悟

2008年ドラフト1位で入団
通算成績:24登板/1勝4敗/防御率7.50

近畿大学時代には1試合23奪三振をマークするなど、先発の柱として期待された巽投手。

しかし、在籍8年間で一軍は登板は24試合で先発に至っては6試合のみ。

通算1勝と期待に応えられませんでした。

大きな怪我があったわけではなく、コントロール面で苦しみましたね。

ホークスのここ数年のドラフト1位では最も失敗した選手と言えますね。

大場翔太

2007年ドラフト1位で入団
通算成績:85登板/15勝21敗/防御率4.39

東洋大学時代にはリーグ通算奪三振新記録を樹立するなど「平成の鉄腕」として注目され、ドラフトでは6球団競合の末ソフトバンクへ入団しました。

すると、1年目にパ・リーグ史上初のプロ初登板で無四球完封勝利を記録するなど大器の片鱗を見せつけると、2週間後にも無四球完封と新人離れした投球を披露しましたが、その後は「一発病」に苦しみ成績を落としました。

2011年にはリリーフも含めて7勝を挙げるなど復調の兆しを見せたものの、プロ通算15勝に終わり、まさに彗星の如く現れ、すぐに消えていった選手です。

荒川雄太

2005年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

2005年にメジャー移籍した城島選手の後継者として期待された強肩捕手の荒川選手。

しかし、在籍の5年間で一度も一軍の試合に出場することなく戦力外となりました。

当時は的場選手、山崎選手、田上選手と捕手争いが激しかったから仕方ないですが、1試合も出てないというのは、誰が見ても失敗でしょう。

山村路直

2000年ドラフト1位で入団
通算成績:25登板/2勝2敗/1H/防御率3.58

九州共立大学時代に評価を高め、鳴り物入りで入団した山村投手。

しかし、1年目に故障し、4年間も怪我に苦しみました。

5年目の2005年に一軍デビューし、2007年にリリーフでプロ初勝利を挙げましたがプロ通算わずか2勝で戦力外通告となりました。

同期の山田秋親投手とともに怪我に苦しみ、失敗した投手となってしまいましたね。

吉本亮

1998年ドラフト1位で入団
通算成績:149試合/打率.227/1本塁打/34打点/1盗塁

高校通算66本塁打、将来の大砲として期待された松坂世代の吉本選手。

2004年に小久保選手が巨人へ移籍し三塁手として開幕スタメンで出場しましたが、一軍定着とはならず
ホークス在籍10年間、一軍でホームランを放つことは出来ませんでした。

その後ヤクルトで初本塁打を放ったものの、輝きを放つことなく引退しましたね。

田中総司

1999年ドラフト1位で入団
通算成績:5登板/0勝0敗/防御率5.40

立命館大学ではエースとして活躍した田中総司投手。

1年目に開幕一軍で、初登板を果たしましたが、結果を残せずに二軍落ち。

その後は肘の手術の影響もあり、通算5年目でわずか3試合登板、未勝利に終わりました。

注目されていただけに、非常に残念なプロ生活でしたね。

中出謙二

1977年ドラフト1位で入団
通算成績:95試合/打率.194/1本塁打/9打点

ポスト野村克也として期待された捕手の中出選手。

しかし、ポジション争いを抜け出すことができずに1985年には阪急へトレード。

目立った活躍をすることなく、現役引退しました。

篠田淳

1988年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

大垣商業時代に甲子園で活躍し、注目となった篠田投手。

しかし、1年目に肩を故障し一軍に上がることのないままわずか3年で引退しました。

地元の岐阜では一躍人気者だったため、活躍出来なかったのは悔しいでしょうね。

まとめ

以上、ソフトバンクの歴代ドラフト1位選手の活躍・失敗選手をまとめてみました。

活躍した選手は
・城島健司
・斎藤和巳
・井口忠仁
・若田部健一
・山内和宏
・藤田学
・今宮健太

失敗した選手は
・巽真悟
・大場翔太
・荒川雄太
・山村路直
・吉本亮
・田中総司
・中出謙二
・篠田淳

となりました。

城島選手や井口選手もブレイクするまでは数年かかり、斉藤和巳投手は怪我もあって活躍した期間は短かったですがそれでも印象的な成績を残したことからドラフト1位で成功したと言えるでしょう。

ただ、鮮烈なデビューをした大場投手でも失敗した選手と言われていることからプロでの活躍の難しさと長くプレーすることの大事さがわかりますね。

2014年1位の松本投手、2015年の高橋純平投手は怪我に苦しみながらも2019年ようやくチャンスを掴んでいます。

また、1年目大活躍の甲斐野投手も、長く活躍できるようにコンディションを整えていきたいですね。