墓所ショッピング

墓所ショッピングという言葉は暗いイメージだろうか。
私は、結構楽しいショッピングをしているつもりなのだけれど。
普通の会話の中に「最後はどこに眠るのか」という話題が出るようになった。

私はまだまだ先の話と思っていたけれど、どうもそうではないらしい。
家人の兄弟は80才を超えるかどうかで身罷った。
けれど、きちんと落ち着くお墓を持っていたので、その準備の良さにも驚いたものだ。

墓所を探し始めると、次々とDMが届くようになったので、近い所から順番に見学を開始した。
沢山見ると、様々に見えるモノがある。

家人は「お墓は持たない」というけれど、世間と違うことをするのはそれなりに大変である。
なので、色々と話し合い、沢山の墓所を見学して意見をすり合わせた。
俗にいうお墓はいらない。
「樹木葬」で意見が折り合った。
この樹木葬がさまざまあって、方々観て歩くことになった。
永久使用権、永代供養、管理費、合祀等々に始まり、公園墓地では石屋さんの墓地管理となるところが多いので樹木葬でも小さい石から、大きな石まであるけれどそれぞれに名前を彫って残すところは、墓石を持つ事に変わりはないように思った。
私達は土に還るのが希望なので、どこの話を伺っても決定出来ないでいた。
樹木葬と言うと、大きな樹があって、足下に芝生が敷かれたアメリカのアーリントン墓地のようなイメージがあるけれど、日本ではそうはいかない。石が大きいとお隣との距離も窮屈になる。
あの世に行っても、今の暮らしと変わらない。

そんな中、京都のお寺が最近になって樹木葬をするようになったとお知らせが届いた。
しかも、東福寺や建仁寺の中の塔頭である。
そんな事から京都詣でを始めた。

お寺も、管理会社が管理しているけれど石屋さんではないので墓石はない。
苔の下に眠り、そのまま土に還る。
有難いことに我が家の希望にピッタリと合った。

この道を辿ると墓所に着く。


この場所は、腰の高さまで石囲いされて、その深さに土があり上を苔で覆っている。
小さな石に番号が振られて、どこに眠っているかは分かる。

我が家と宗派の違うお寺の場合はどうするのか。
「お経は違えど、お釈迦様は同じです」と言われて合点した。
我が家の宗派のお寺の檀家になって墓所を得るほど信心深くないのは幸いだ。
何しろ、教会結婚、初詣で、地鎮祭等は神社、葬儀は仏式と、その場その場で俄信徒になっているのだから。

「で、建仁寺と東福寺とどちらにするの?」と家人に問えば、「建仁寺は祇園さんだから、美味しいものがあるやろー」と答える。
けれど、未だ見学したいお寺を3か所残しているから、連休は京都のお寺詣でをしようと、やけに張り切っている。
生きてるうちに、自分の最後の場所を決めるのは思いの外わくわくするものだ。

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