本日もブログへお越し頂きまして
ありがとうございます
皆様に慈愛の光が溢れますことをお祈り致します
京都洛北の山寺は台風一過の青空が
見えています
明け方はすごい豪雨でした
近くの川がすごい爆音立てながら流れています
それでも 普通に蝉達は鳴いています
今日はお盆の最終日
お盆とは、盂蘭盆会(うらぼんえ)とか精霊会とも言われます
京都では五山送り火も行われます
お盆の時期に台風とは…
珍しくて、いつもとは違う過ご方をしました
今日の法要の準備は手抜きが多くなる
まぁ いいかぁ~
そんなこともあるよね~
一番大切なのは
祈る心だから
昨日のお檀家さんのお参りでも
そんな話になりました
ただ昔からやっているから
やっているポーズだけ
意味はよくわからないけど…
そんな事を感じている 今世代の若嫁さん
それはそれでもいいと思いますよ
形という儀式から入って、自然に解ることもあるから…
すべては心、意識することから始めるから
ご先祖さまは10代遡って1024人
20代遡ると1028576人になるそうです
すごいと思いませんか
誰か一人でも欠けたならば、
ここに私は存在しません
誰か一人でも、結婚というご縁がなければ
今 ここに私は存在しません
仏教では、人に生まれることはとても難しいことだと説きます
そして、さらにその人が仏教と出会うこともさらに難しいと説いております
私は、どんな宗教でも、その他の教えでも…
なんでもよいと思います
結局のところ
自分が何を想い、何を意識して生きていくのか
そこが大切にですから
仏教もそのひとつの方法のツ―ルでしかないのですから…
ですから、私はお寺へお参りに来ることを強制しないんですよ
ご縁でが 有る方が来られたらそれでいいと…
ご縁がないと逆に来られらいのないのがお寺なのかも知れませんね
誰と出逢うのかも ご縁
どんな生き方を 選択するのも ご縁
すべては ご縁 なのだと思います
そのご縁を
良きかたちで、生かして結ぶのか
悪きかたちで、結ぶのか は
すべて自分次第なのですからね
それが、
自分の責任というものなのだと想います
私達は、この世に生かされて存在するのですからすべては尊い存在なのです
その尊い存在をどのようにして良いご縁を結びそれを生かして、生きていくのかはすべて自分の席なのかも知れませんね
そんな中で当然に不安や恐怖などは起こるかと想いますが…
そんな時こそ
目に見えない存在(神、仏、ご先祖さま、宇宙の源 など)の導きが必要になるのかと想います
そのために 祈りを捧げること
それが お盆の行事には、儀式として伝えられているのですよ
そんな事を お盆の時期に感じて頂ければ、僧侶としても幸いと想います
そんなことを感じている今日この頃です