魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「51」

2018年01月14日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「51」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号051 
作者:藤原実方朝臣

THE MINISTER SANEKATA FUJIWARA
FUJIWARA NO SANEKATA ASON

原文
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを
(かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを)

現代訳
これほどまで、あなたを思っているということさえ打ち明けることができずにいるのですから、ましてや伊吹山のさしも草が燃えるように、私の思いもこんなに激しく燃えているとは、あなたは知らないことでしょう。

英訳
THOUGH love, like blisters made from leaves
Grown on Mount Ibuki,
Torments me more than I can say,
My lady shall not see,
How she is paining me.

The writer lived some time at the close of the tenth century. The artemisia plant (or mugwort) is used in Japan for cauterizing; a conical wad of the leaves or blossoms is placed on the spot, lit at the top, and allowed to burn down to the skin; this produces a blister, and is extremely painful. Ibuki is a hill, between the Provinces of Omi and Mino, famous for its artemisia, but ibuki can also stand for iu beki, which, in conjunction with e ya wa, would mean, 'Ah! how could I tell her!' But eyawa as one word means 'indescribable!' Notice also sashimo in the third and fourth lines sashi-mogusa means 'the artemisia plant', but sashi mo means 'even though it is smarting'; sashimo, in one word, can also mean 'in such a way'. This verse is a very good example of the way the Japanese love to play upon words. The picture seems to show Mount Ibuki with the mugwort growing on it.

解説
 藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん・生年不明~長徳4年 / ?~998年)は貞信公の曾孫にあたる人物で、通称「実方の中将」と呼ばれていました。
 左近中将にまで任ぜられていましたが、御所で藤原行成といさかいを起こし、その冠を地に投げ捨てた罪で一条天皇の勘気にふれ、陸奥守に任ぜられ、その地で亡くなったと伝えられています。
 しかし、藤原公任や重之、道信などとも親しく、歌人としても有名な人物でした。

 藤原実方朝臣は清少納言の恋人でしたが、彼女に負けないほどの和歌を詠みたいと思い、 この和歌をつくったと言われています。
 「思ひ」の「ひ」は「(燃ゆる)火」にかけていますが、「言う」と「いぷき(伊吹)」、「さしも草(もぐさ)」と「さしも知らじな」など、巧みなつくりで、恋心が詠まれています。





★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「50」

2018年01月13日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「50」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号050 
作者:藤原義孝
author of waka:YOSHITAKA FUJIWARA(FUJIWARA NO YOSHITAKA)

原文
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
(きみがため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひけるかな)

現代訳
あなたに会うためなら惜しいとは思わなかった私の命ですが、こうしてあなたと会うことができた今は、いつまでも生きていたいと思っています。

英訳
DEATH had no terrors, Life no joys,
Before I met with thee;
But now I fear, however long
My life may chance to be,
’Twill be too short for me!

Yoshitaka died in the year 974. See verse No. 18 for a note of the Fujiwara family.

解説
 藤原義孝(ふじわらのよしたか・天暦8年~天延2年 / 954~974年)は謙徳公 一条摂政伊尹の三男で、和歌の天才と呼ばれましたが、残念なことに天然痘にかかり、二十一歳で亡くなりました。
 仏教への信仰心が篤かったと伝えられていますが、能筆家で有名な藤原行成は、藤原義孝の子どもになります。

 この和歌は恋心を詠んだものですが、素直な気持ちを飾りのない形で詠んでいて、爽やかでもある若い義孝の気持ちがよく伝わってきます。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
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河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「49」

2018年01月12日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「49」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号049 
作者:大中臣能宣朝臣
author of waka:THE MINISTER YOSHI-NOBU, OF PRIESTLY RANK(ŌNAKATOMI NO YOSHI-NOBU ASON)

原文
みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
(みかきもり ゑじのたくひの よるはもえて ひるはきえつつ ものをこそおもへ)

現代訳
禁中の御垣を守る衛士のかがり火は、夜は赤々と燃えているが、昼間は消えるようになって、まるで、(夜は情熱に燃え、昼間は思い悩んでいる) わたしの恋の苦しみのようではないか。

英訳
MY constancy to her I love
I never will forsake;
As surely as the Palace Guards
Each night their watch-fire make
And guard it till daybreak.

The author was the son of the Minister Yorimoto, and he lived during the latter part of the tenth century. The illustration shows the watchman outside the Palace tending his fire.

解説
 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん・延喜21年~正暦2年 / 921~991年)は藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人で、蔵人から讃岐権掾などに任ぜられています。
 能宣朝臣は優れた歌人で、平安御所に置かれた和歌所の寄人である「梨壷の五人」のひとりとして「後撰集」をまとめたり、「万葉集」のを研究などを残しています。

 能宣の和歌は「拾遺和歌集」の59首のほか、それ以降の勅撰和歌集にも120首以上が伝えられているほか、61番の作者・伊勢大輔は能宣の孫にあたっています。

 この和歌は、当時は身近であったかがり火に、恋に悩む心の内を見出しています。
 「昼」と「夜」、「燃える」と「消える」など、巧みな対比だけでなく、「夜は~消えつつ」で、「かがり火」と「恋に悩む自分」とをうまくつないでいます。




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河出書房新社


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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
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厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「48」

2018年01月11日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「48」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号048 
作者:源重之
author of waka:SHIGE-YUKI MINAMOTO(MINAMOTO NO SHIGE-YUKI)

原文
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな
(かぜをいたみ いはうつなみの おのれのみ くだけてものを おもふころかな)

現代訳
風がとても強いので、岩に打ちつける波が、自分ばかりが砕け散ってしまうように、(あなたがとてもつれないので) わたしの心は (恋に悩み) 砕け散るばかりのこの頃です。

英訳
THE waves that dash against the rocks
Are broken by the wind
And turned to spray; my loving heart
Is broken too, I find,
Since thou art so unkind.

The writer of this verse is said to have died in the year 963; for a note about the great Minamoto family, see verse No. 28. In the picture we see Shige-yuki, with an attendant carrying his sword, walking on the shore, while the waves break into spray at his feet.

解説
 源重之(みなもとのしげゆき・生年不明~長保2年頃 / ?~1000年頃)は清和天皇の曾孫で源兼信の子どもです。
 和歌に優れ、藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人にも名前が挙げられています。
 また、源重之は村上、冷泉、円融、花山、一条の五朝に仕え、左近将監、相模権守などを任ぜられています。
 東北から九州まで、全国を広く旅して、長保二年、任地先の陸奥で亡くなりましたが、「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に多くの和歌が残されています。

 この和歌は、自分の恋心を岩を打つ波に例えたものですが、躍動感があり、激しい恋心もよく表されています。
 「おのれのみ」、「くだけて」は、いずれも「波」と「(恋する)自分」にかかっていて、表現も巧みで、重之の胸のうちが伝わってくるようです。




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河出書房新社


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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「47」

2018年01月10日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「47」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号047 
作者:恵慶法師
author of waka:THE PRIEST YE-KEI(YE-KEI HŌSHI)

原文
八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
(やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり)

現代訳
このような、幾重にも雑草の生い茂った宿は荒れて寂しく、人は誰も訪ねてはこないが、ここにも秋だけは訪れるようだ。

英訳
MY little temple stands alone,
No other hut is near;
No one will pass to stop and praise
Its vine-grown roof, I fear,
Now that the autumn's here.

The Priest Ye-kei lived about the end of the tenth century, but nothing is known about him. In the picture he is shown outside his humble little temple with its patched roof and the vine growing up the wall.

解説
 恵慶法師(えぎょうほうし・生没年不明)は平安中期の人で、優れた歌人として知られていました。
 花山天皇の寛和年間(985~989年の頃、播磨国(兵庫県)の国分寺の住職だったと伝えられていて、平兼盛、源重之、安法法師らの歌人と親しく交遊していたようです。

 この和歌は、あるとき恵慶法師が河原左大臣 源融の別荘を訪れたとき、その屋敷の寂れた様子を見て詠んだ和歌だと言われています。
 その別荘は「河原院」と呼ばれていましたが、恵慶法師の時代では、すでに100年近く経っていて、源融の曾孫・安法法師が住んでいたと言われています。

 和歌自体は、打ち寂れた屋敷の情景を詠んでいますが、やって来ない「人」と、「やって来る「秋」とを対比させていて、暗い陰鬱な感じなどを感じさせません。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
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百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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