はいさい!はーたんです!
お盆ってこともあり、今日は僕が実際に体験した不思議な話を紹介します。
これは僕が小さいときに実際に体験した話です。
僕が昔住んでた沖縄の伊良部島は今でも古い風習が色濃く残る離島の1つです。
僕の島では行事は全て旧暦で行っているため、お盆の時期は内地とは少しずれていました。
幼かった僕は家の前で一人で遊んでると従兄弟のお兄ちゃんに『うちのサトウキビ畑の中にウズラの雛が孵ったんだ。』と聞いてから、ウズラの雛を見たくてたまらなかった。。。
サトウキビ畑は歩いて10分くらいで海と家との真ん中くらいにありました。
お盆時期になるとおばぁから『夕方には幽霊がでるから絶対に海や畑には行っちゃいけないよ。』と言われていましたが、どうしてもウズラの雛が見たかった僕は、母とおばぁが夕飯を作っている間に家を抜け出し畑に行ってしまいました。。。
サトウキビ畑につくなりウズラを探しましたが結局みつからず、夕闇が訪れる頃にサトウキビ畑の向こうから、沖縄民謡のような中国の宮廷音楽のような音が聞こえてきました。
きっと、近所のおじさんたちが畑で宴会でもしてるのだろうと思いました。
お腹も空いていたので、何か食べ物をもらおうと音楽が聞こえる方に行くと・・・・
誰もいない・・・・
また、違うところで音楽が聞こえてきましたが、僕が知っている沖縄民謡より言葉が古いのか民謡の歌詞が聞き取れなかったのを覚えています。
サトウキビをかき分けて、音がする方にいくとギョッ!っとしました。
初めて出た小道に黒い着物を着た人の列が1列に並んでおり、真ん中には、朱色に塗られたお神輿を真っ白な体の二人が前後で担いでいました。真っ白な人は首から上がありませんでした。お神輿にはすだれが掛かっていてどんな人が乗ってるかはわかりませんでした。
怖いというより体が重く金縛りみたいな感じで動けなかったです。
その一行はずっと歩いて海から町の方向に消えていきました。
それからどうやって帰ったかは覚えていませんが、母とおばぁにこっぴどく叱られました。
その夜から僕は高熱を出して、心配した母と翌日病院に行くとインフルエンザと診断されました。
『夏にインフルエンザにかかるんだねー。夜遊びしてるからバチが当たったんだよ!』と母にどやされました。
しかし、インフルエンザの薬を飲んでも熱は下がらず、今度は心配したおばぁはユタのおばぁを連れてきました。
ユタとは島に古くからある占い師や霊媒師みたいなものです。普段は普通のおばぁなんですが線香をつけてブツブツなんか唱えたり、琉歌を歌い結果を判事します。
ユタのおばぁから『この子、たーりてるねー(祟られてる意味)。あの世の道をみてしまってるさー。体がダルくなるねー。あんたが見たのは、昔、中国から琉球に行く途中に船が難破してこの島に着いた中国の人たちだね。位が高い人は召し上がって神様になってるさー。』と言いました。
実は母やおばぁには黒い服を着た一行の話はしてませんでした。(怒られるだけでは済まないと思ったから。)
ユタから判事を聞いたおばぁの驚愕した顔が忘れられません。
ユタのおばぁから『でも、困ったさーね。中国のカン(神様)を私は祓えない。残念だけど、この子は天命を全うできないね。』
と、ユタのおばぁから悲痛な言葉を聞くとおばぁは泣いていました。
ユタのおばぁから『もしかしたら宮古にいるユタなら祓えるかもしれない。』と言いました。
2日後、宮古島のユタのおばぁがきました。
そのユタのおばぁは先祖に中国の人がいるらしく、線香をつけるとすぐに中国語みたいな話し方でブツブツ唱え始めました。
宮古島のユタ『これは中国の位が高い神様だね。でも、島で亡くなっているから、ちゃんと供養すればこの子から離れるはずさ。』と言いました。
その後、母とおばぁと宮古島のユタは、線香や酒やお重に詰めた食事を持って3人でどこかにいきました。
1時間くらいして帰ってきました。
宮古島のユタから『これで良くなるさ。もう一人で畑や海に行かすなよー。この子は憑かれやすいからね。』と言い、ユタのおばぁは帰っていきました。
ユタのおかげか、インフルエンザの薬が効いたのか分かりませんが、翌日には、熱も下がりすっかり元気になりました。
しばらくして、母に『なんで、畑なんかにいったの?』と聞かれたため、『◯◯にぃーにぃが畑にいるウズラの雛が孵ったって言われたから見たくて行ったんだよね。』と言うと、母から『また、嘘ついたでしょ!◯◯にぃーにぃはお兄ちゃんたちと一緒に本島のおじさん家に行ってるでしょ。』と言われました。
えっ?(*゜ロ゜)?
じゃあ、ウズラの雛が孵ったと教えてくれた、にぃーにぃは誰だったの・・・
おわり
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