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2019/06/17

青池

百物語 第三夜

青池

※怪談です。苦手な方はご注意ください。




 私の祖先は明石の西にある大久保というところの出です。

 祖先がいたのは大久保のうち、当時は森田村と呼ばれていたところで、明石よりは半里といっていましたから約二キロほどの距離、地図を見ますと山陽本線の西明石駅と大久保駅の中間あたりになります。山陽道ぞいですから、当時としても開けた村だったんじゃないかなと思います。

 この森田村に〈青池〉という池があります。大きい池ではないものの、涸れたことがないといいます。もっとも、この付近にはたくさん池がありますから、水が干上がりにくい地形なのかもしれません。

 東京に出てきたのは私の高祖父で、その祖父の話ですから私から数えれば六代前ということになります。ずいぶん前のことですので話ばかりで名前は伝わっていないのですが、仮に曽祖父の名前をとって栄助としておきましょうか。

 江戸時代中頃の話です。栄助は百姓をしておりました。

 ある日、野良仕事から帰る途中この青池に立ち寄って鍬を洗っていたところ、三十センチほどの蛇を見つけました。この蛇、奇妙なことに蛇とは思えないほどのすばやさで、見つけたつぎの瞬間には栄助の鍬の柄に巻きついていたんです。

 これはちょっと気持ちが悪い。

 栄助は鍬を振って払い落としました。

 まだ鍬の刃先が汚れていたので池の水につけると、いつのまにか蛇がスルスルと這いのぼってきて柄の絡みついてきています。

 栄助はもう一度、鍬を振って蛇を振り落としたのですが……そうです、気づいたときにはもう、蛇が柄に巻きついている。

 すっかり業を煮やしてしまった栄助は再び蛇を振るい落とすと、柄をさかさまに持ち替えて、蛇の頭目がけて打ちおろしました。

 ところが蛇はやっぱりすばしこくて、身をかわして……跳びあがったんです。

 栄助はびっくりして尻餅をついた。

 ポチャンと音がしたので上半身を起こしてこわごわあたりを窺うと、蛇は池に入っておりました。身をくねらせて池の中心の方へと泳いでゆく。

 ええ、もちろん蛇はけっこう泳ぎのうまい生き物ですけれども、あまりにすばやい動き、蛇が跳んだなんて見たことも聞いたこともありません。殺し損ねたのも、手ひどい失敗に思えた。復讐されるんじゃないかと恐れもした。蛇憑きが広く信じられていた時代ですしね。

 何ともいえず嫌な気持ちになって、栄助は急いで家に帰りました。

 その日はカンカン照りの陽気だったそうですが、ちょうど家に着く頃、急に空が真っ暗になり、それとほぼ同時に雷が鳴り……一発落ちてすぐ、ザアーッと雨が降りだしました。車軸を流すような大雨が夕方、突然降りだしたんですから夏のことだったんでしょう。

 栄助が家に駈け込んで、妻がお帰りといったつぎの瞬間に……もう一度、雷が落ちました。

 しかも、家の近くに落ちた。

 栄助も妻も、ひっくり返った。

 しばらくあたりに響きわたっていた轟音がおさまったところで、周辺に異状がないかどうか、栄助は窓から顔を出して外のようすを窺いました。

 すると、家のすぐ裏の松の木の姿が一変しています。青々と茂っていた枝葉は見る影もなく枯木のようになっており、煙は出ているし、ぶすぶすと嫌な音をたててもいる。焦げたにおいもしている。激しい雨が降りつづいておりましたから、火の心配はありませんけれども、そのかわり……そのかわりというのも何ですが、妻が卒倒していました。

 慌てて揺り動かしたり、水を口に含ませたりして息を吹き返したんですけれども、意識が戻ったのは二、三日後だったそうです。

 ところが、どうもそれから栄助との会話が噛み合わない。受け答えが他人行儀だ。話しているうちに、気づいた。記憶を失って、夫婦であることも忘れてしまっているんだと。

 栄助は甲斐甲斐しく世話をしたそうですが、それ以来死ぬまで、とうとう妻が正気に戻ることはなかったそうです。

 もうひとつ、変わったことがありまして、雷が落ちて弱った松の木に、茸が生えるようになったそうです。傘の部分に鱗のような模様があって……そう、蛇のような模様がありまして……全体に濃い赤色。とても食えそうには見えないのに、味はなかなかのものだったそうです。栄助から話を聞いた村の人が、蛇茸と名前をつけて、雷除けなんてこじつけて旅人に売っていたこともあるらしい。

 この松の木は枯木のような姿のまま長い間もっていましたが、幕末から明治の初め頃に、とうとう朽ち果てて、颱風に倒されてしまったそうです。

 この話のへんなところは……この話には、栄助夫婦の子供が出てこないんです。たまたま話の筋に関係なかったから登場しないんでしょうか。この正気を失った妻がその後、何年生きたのかは伝わっておりません。ある時点で死別して、後妻を迎えたのか。離縁したけれども、世話をつづけたのか。私と直接血のつながりのある者が養子に入って、子供をつくったのか。ああ、これはどうでもいいことかもしれませんね、失礼しました。

 血のつながりがどうであろうが、とにかくこんなわけでして……私の家では茸を食ってはならんことになっているんです。

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