インドラネット

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2019-06-17 22:58:57 | 日記

今日は、ちょっと一息。

「気絶するほど恐ろしい! 北欧の『なまはげ』」https://t.co/wYJ9uo0tci

これ、北欧の民俗行事の「クランプス」っていう化け物。

古いネット資料を整理していたら、発見。

とても面白いので皆さんにもご紹介したい、と思います。

 

何でも、「悪い子はいねーがー」

と言いながら町をうろつくらしい。

秋田の「なまはげ」と同じではないか。

しかもその姿は「赤鬼」そのもの。

何なんでしょうね。

この共通性。

もしかしたら昔、地球上には「鬼」の姿をした人類がいたのでしょうか。

 

そういえば、

沖縄の始祖伝説に出てくる

「アマミキョ」

テレビでその子孫の家が紹介されていて(半年くらい前だったか、、)

『今は残っていないが、自分たちのご先祖の遺骨には角が生えていた』

と代々伝承されているそうな。

 

 

ミクロネシア、ポリネシアあたりに突然現れて、

消えた、とも今のポリネシア人だとも言われている

「ラピュタ人」

美しい土器が有名です。

手足が長く、頭が大きく、身長も高かったそうです。

このほか足の脛の骨が今の人類とは構造が違い

さらに頭蓋骨の構造も違っていて、

頭の前後にかけて中央部の骨が高く盛り上がっていたようです。

この人たちはホモサピエンスと混血して

姿を消しました。

 

 

「ネアンデルタール人」は、

二万年前まではヨーロッパに純血種が居ましたが、

今では姿を消しました。

しかし、(アフリカのごく一部の種族を除いた)世界中の人類に、

このネアンデルタール人の血が混ざっている、

と言われています。

色が白く、金髪で、頭が大きく、

集団で群れる事を嫌ったと推測されています。

してみると、真っ黒黒助の私は、ほとんどこの血を受け継いでいないようです。

 

 

他に、「コロポックル」という人種が日本には居たことがわかっています。

彼らは大変背が低く、狩猟民族で、穴倉に暮らしていたと言います。

神武天皇のころの奈良には、まだいたようです。

この人たちも、我々現世人と混血していったのでしょう。

 

私たちは人類の歴史を

猿から人へ進化したと単純に考えがちですが、

何も世界のある一地域だけで進化が始まるはずもなく、

世界中には、我々の知らないたくさんの種類の人間がいたんだろうな、

という気がします。

現生人類と交配できた種と

交配がうまく行かなかった種がいて

うまく交配ができなかった種は、絶滅してしまったということです。

 

 

すると、「鬼」だって昔はいたと考えても不思議はない・・・

 

うーん。

やっぱり、この民俗文化を持った人たちが、

西欧や日本に散らばった、と考えたほうが自然かな。

 

世界は、意外なくらいに狭いですから。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
インドラさんへ。 (テレビとうさん)
2019-06-18 08:35:30
「’コロポックルは’神武天皇のころの奈良には、まだいたようです。」の説は初めて聞きました。

コロポックルはアイヌの伝説でしかないと思いますが、「アイヌの歴史」自体が12世紀以後しか判っていません。出所が分かったら教えてください。
テレビとうさんへ (インドラネット)
2019-06-19 21:15:15
コロポックルはアイヌが日本に入ってきたときにいた先住民族。背の小さい種族だったようですね。
ところで、「神武天皇のころの奈良には、まだいたようです」の根拠ですけども、書かれた資料がどうしても見つかりません。ショックです。
内容は、神武天皇が東征した際の話で、奈良の山々を見て「蜻蛉(あきつ)のとなめの如くにあるかな」と詠んだことや、「小さいが良い国を手に入れた」と喜んだこと、奈良の山には手足が長く、穴に暮らす小柄な先住民がいたこと、などを書いてありました。
日本国内にそう多くの人種がいたとも思えません。
そこで頭の中に、上記の話を読んだ記憶がありましたので、「あ、コロポックルのことだな」と思った次第です。
インドラさんへ。 (テレビとうさん)
2019-07-09 08:44:59
「蜻蛉のとなめ」は、その形から「蛇行合流を繰り返す川」の意味が妥当に思えます。

現在の日本では「・・富士」が何処にでもあって「日本の象徴」であるように、「蜻蛉のとなめ」は各地にあり「和の国」の象徴なら、納得できます。

「山」は神が住むところで、「平野」は人の住むところ。「平野」の象徴は「蛇行する川」なので、「神が統べ治める地」を「秋津洲」と言って「日本」を意味するようになったと思います。

最初の「秋津洲」は九州にあったそうです。

http://koji-mhr.sakura.ne.jp/PDF-1/1-3-8.pdf

コロポックルの件は「アイヌ」が消し去ったアイヌの記憶なので、文字がない文化からは解明する事が難しいと思います。日本の古書に残っているかと思って少し期待しました。

資料を見つけたら、ブログに書いて下さい。

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