ひめの 介護中に 色んなことを考えました。

私の実家は 割烹料理屋をしており
物心ついた時から
一歳下の弟が 跡を取る段取りで
育ちました。

弟が高校を卒業し
もうすぐ京都に修行に出る
数日前に
交通事故で 亡くなりました。

父は 自分の代で 店は終わりやなと
腹を括っていましたが

時は流れ
偶然 今の 料理人の彼氏さんと出逢い
もうすぐ20年

この流れは 弟が作った
家業を 継ぐためのルートやなと
思いながらも
家族経営は 本当にぶつかり大変な事もわかっているので
父のそろそろ 手伝ってほしいと言う言葉も
流し流し来て

なんなら 私は 親子仲悪くなるくらいなら
父の代で 締めるのが
良いと 思っていました。

真面目に生きて来なかった 私は
物心ついた時から
反発して ぶつかり続けて来たので
親への気持ちも薄く

子供の時から
弟は跡取りやからと
兄妹の中でも VIP待遇な ハッキリ分かる
えこ贔屓で育ち
心の狭い私は 今更 言い寄って来られてもと
言う気持ちもあり

出来る限り 距離を置いて 暮らして来ました。

親孝行なんて事も 考えた事がありませんでした。

自分と、子供と ひめの毎日をこなす事に
精一杯でしたが

ひめの介護で
全てをストップし 介護はハードでも
考え事をするには
十分な時間があり
親孝行を 考えるようになり
ひめが居なくなり
1年半ぶりに実家に行くと
歳を取って あちこちにガタが来ながら
頑張る両親を見て

ある方が ブログに書いていた
親と離れて暮らしていると
たまに会う時間を 計算して
あと何日ほどやと言う言葉を思い出し

助けてあげたいなと思い
彼氏さんに相談し
10年間して来た 自分達の店を閉めて
家業を 助けてくれる決断をしてくれました。

SNSやハガキで 発表してからは
毎日 常連様達が 時間を作っては
寄ってくれ、来れない方は
沢山の仕出しを注文してくれたり













閉店3日前は 店を貸し切って
常連様達で お酒も料理も持ち寄ってパーティを 
してくれ

最終日まで 大好きなお客様に 囲まれて
終われました^ ^



涙涙になるかと思ってましたが
最後の最後まで
笑って笑ってでした❣️

大した金儲けは 要しませんでしたが
大きな 人儲けを させて頂いた
10年間

感謝で感謝で感謝で
感謝しかない 幸せな10年間

新しいスタート
父が作ってきた 素晴らしいモノを
大切に
私達の 新しいモノをプラスし
もっともっと 喜んで貰えるお店を作っていけるよう
頑張ろう

跡取りとかは 今は考えていません。
父は そのつもりでしょうが
とりあえず今は
両親が引退する時に
最高の形で 引退できる状況を
作ってあげたいと思っています。
73歳の父は
私達が 手伝う決断をした途端
とても元気になり
もう10年は 頑張ると言い出したので笑い泣き
とりあえずその日までは
全力で


私が持っている
ネイルやパワーストーンも
まだ 続けたいと思っています。
保護活動も 更に頑張りたいと思っています。
家業は お昼も 夜も営業してるので
どこにそんな時間があるのか分かりませんがチュー

やる前に あれこれ考えるのは苦手で
どんな風に 全てを両立出来るかは
想像もつきませんが
やれば出来る‼️
はずウインク

頑張るぞー💪