記憶、すぐに浮かんで当たり前の名前のことだとか

2018-04-08 18:12:08 | エッセイ

昨日の朝、目が覚めベッドにいた時に浮かんできたのが、何故か学生時代に出会ったA君のこと。同じ部活(交響楽団)だったのだけれども一年の夏の合宿で一緒になるまで、彼が部員の一人であることを知らなかった。理由の一つには彼の所属する学部が練習場所になる都心のキャンパスから離れた所にあったせい?  とも思うのだが、でも理系のそちらのキャンパスから来ているメンバーは結構いた。それに彼の家は都内だったし、考えてみればおかしい。ということからすると入部したのが遅かったせいか?  だが、合宿以降も彼の姿を練習の時に見た記憶がない。その信州での合宿の時の唯一の彼の記憶が、ヴィオラの弦が切れてどこかしらに求めに出掛けて戻ってきたところだということを話した時のものだった。その山中の場所から、どの町に行けば弦を買えるのか想像がつかなかった。何故その楽器なのかも解からなかったし、弾けるのかどうかさえそれまで練習で見ていたわけでもないので分らなかった。何故かそうした雰囲気を彼に感じなかった。

つぎの記憶は彼の家に遊びに行った時のこと。合宿の時に電話番号を交換していたからだろう。合宿の際も練習以外の時間、学年を超えて一緒に野球をやったり散歩をしたり、ボートに乗ったりなどしたことを覚えているのだが、どうもそこに彼がいたという記憶がない。だが二人が一緒に芝生の上にいるところを撮られた一枚などが残っているところをみれば、実際にはそんなこともなかった筈で、記憶の頼りなさを思う。家には彼以外不在で、体裁を整えるというようなこととは無縁の印象の家の、その2階の部屋で彼はギターを弾いた。慣れた巧みさを感じさせて、弦繋がりでヴィオラに関心を示したのもあるかなと思ったのだが、実際に弾く方のことがどうなのかは分らなかった。室内にヴィオラはなかったし、練習をしたのかどうかも分からない。秋の区の公会堂での定期演奏会にもいなかったと思う。練習に来た彼の記憶がないということは、当然そうだっただろう。

彼は一浪していたのだけれども、どういうタイプと言ったら良いだろう。ちょっと他の仲間とは違う感じの個性を感じさせるところがあったように思う。だいたいが進学校レヴェルの高校出身だったことからすると、校名から低いイメージを思わせる私立のJ高出身というのも違いを感じさせたひとつのようだったし、彼自身のなにかゆっくりとしたペースを感じさせる個性というのがそのイメージに伴っていたような気がする。茫洋とした屈託のない大らかな感じ。 それが彼の良さでもあり、人間としても魅力でもあった筈。多分部員の中でその後彼と連絡をとりあったのは私位のものだろうし、近づかせるものがあったと思う。ただキャンパスも違い、会ったのは一度だけ。その後連絡を取り合うこともなく過ぎてしまった。

卒業して何年か後、という年齢の頃、私が高校の終わり頃から(1960年代の半ば近く)もう通っていた、今も姿を変えて店のある新宿中央通りの名曲喫茶「らんぶる(L'ambre)」をその日出ようとしていた時、入口のところで彼とバッタリ出会った。その通りのちょっと離れた斜め向かいに、言わば芸術家のタマゴや活動中の関係者などがよく出入りをしていた「風月堂」があって、自身も親しかった大学院に進んだ友人などと共にその後もそこで時間を過ごすことがあったものだった。そこにいたり、「らんぶる」にいたりというような、そんな頃。そこで彼に会ったのは大学1年の時以来だったから懐かしくうれしかった。社会人になった彼はしっかりと足を地につけてやっている感じを滲ませ、業界紙関係の仕事をしていると言った。入口のところで話し、そこで別れたのが最後。だから彼というと、合宿の時の弦を買いにその山中の合宿所からどこまで出掛けて行ったものか、ともかく手に入れて戻ってきたことを話した時の彼の記憶。それから家に遊びに行った時のこと、その時に知ったギターの巧みさ。それから「らんぶる」の入口でバッタリ会った時のこと。甦るのはその三つの記憶。

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朝のベッドの中、はっきりとまだ目覚めないような感覚の中で浮かんだ時、すぐに出て来る筈の彼の名前が出てこなかった。ありえないようなことだったのだが、出てこない。辿る手がかりも閉じられている感じ。茫漠とした霞の彼方に消えてしまっている。というようなことは実はもうここにきての私にとっては日常的なことで、どんなに自分の知識に染みついているような名前であっても、その名前を必要とするその時になると全く分からなくなる。掻き消えてしまう。そうした障害。だからといってそのまま甦らないわけではなく、暫くすると浮き出てくる。だがその朝のベッドの中で名前を思い起こそうとした時には、その脳問題の日頃のことはどこかに行っていて本当にそのまま忘れ去ってしまうことになったらどうしようかと辛い思いになった。自分にとっては大事な記憶の一部に違いないし、名前に辿り着けなくなるというのは、なにか不可欠なものを奪われてしまうことのような思いにさせられてしまう。

他の同じ部の仲間は? と1年の時に一緒に入部した彼らの名を辿った時、一人その名も絶対に忘れることのない仲間であったはずの名が出てこなかった。都立の小山台高校出身でトランペットをやっていた理系の学部のN君。起きた後に当然名前はでてきたのだけれども、ベッドの中ではまるでそのまま甦らなくなるかのように、絶望的に名が消えていた。脳内の故障と言うしかない。そうしたお手上げの感覚の中で、思っていたのである。例え名前は甦らなくても、明瞭に残っている彼らの記憶がある。それを遮るものはなにもないのだし、消えることはない。その当時のままに残り続ける。人が知ることのない自身の内だけのもの。名は甦らなくても、それたけで良いのではないか。A君のことも、記憶がそこにあるだけで良いのではないか。そんなことを思っていた。

 

               

 

 



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