9月 12, 2019

島田城跡 (名古屋市天白区・城跡)【アーカイブ】【動画付き】

住宅地の中に小さな丘がありまして


【お断り】

この記事は2016年5月19日にアメーバブログに投稿したものを一部編集の上、アーカイブしています。現在とは周囲の状況が異なる可能性がある事をご了承の上、ご覧いただきますようお願い致します。




今回は城跡です。
といっても、高い石垣や整備された立派な公園がある訳ではありません。
あるのは小さな丘と、狭い割には樹々が鬱蒼と繁った森、そして、小さな神社です。
島田城跡。
天白川に架かる新島田橋の東端から200m程、県道59号と220号が交わる島田交差点の東の角に地蔵寺という曹洞宗のお寺があり、その東側に隣接しているのが 島田神社
そして今回の主役である島田城跡があるのは、地蔵寺とは県道220号を挟んで反対側にある、ファミリーマートの背後に広がる住宅地の中です。

外観
島田城跡

59号からも220号からも、2ブロック引っ込んだ所で、そこに城跡がある事を知っていて見れば、交差点からも丘の樹々のてっぺん辺りを眺める事が出来ます。


石垣と森

狭い道路に沿って石垣がありますが、これはおそらく、近年になって行われた区画整理で、土留めの為に造られたものと思われます。
というのは、島田城は元々、東西70m、南北180mの規模だった様ですが、現在は、北東から南西に細長い敷地で、その長さはせいぜい50m、幅は、広い所でも20m弱と、規模がかなり縮小しているからです。

入口が見えて来た

天白区役所がホームページに載せている島田城跡に関する記述によると、島田城は、室町時代の貞治年間 (1362~1367年) 、尾張・遠江 (とおとうみ)・越前の三国の守護である斯波 高経 (しば たかつね) が、鎌倉街道の要衝だったこの地に築城し、代々の城主は、斯波氏に連なる一族が務めました。
因みに、城跡の向かいのお宅の表札を見てみると...牧さんでした。
まさに、歴史を背負っていらっしゃいますね。


名古屋市教育委員会制作による案内看板
案内看板

これは、入口に立っている、名古屋市教育委員会作製の案内看板。
この脇の6段の石段を上がり、いよいよ城跡に入って行きます。

通路

突き当たりから右に、狭い通路が続いています。

分かれ道

フェンスが途切れる所まで来ると、その先にはなだらかな坂道が続き、フェンスのすぐ横には石段があります。

階段

石段の方を上がってみました。
何かこれ、神社の男坂女坂みたいだなあ、なんて思って上がって行くと…

牧神社
森の中の祠

本当に神社がありました(笑)
祠が一つだけ祀られているだけですが、高く頑丈に石組みが築かれていて、いかにもここがお城だった事を誇示する様な、厳粛な雰囲気があります。

森の中

周囲を見回しても、この神社と、鬱蒼と繁る樹々以外は何も無く、外観から想像される通りの急斜面に囲まれた狭い場所です。
帰りは女坂の緩い斜面を下って下界に降り立ちました。

後で調べてみると、神社は島田城の本丸があった場所に鎮座し、名前は 牧神社 だそうです。


2018年5月2日に制作した動画をこちらに貼っておきますので、宜しければご覧になってみてください。



ところで…

参道入口
島田神社

県道220号を挟んで地蔵寺の先にある 島田神社 は、斯波高経が島田城を築くにあたり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたと天白区のホームページにあります。
また、島田神社の境内にある石版の由緒書きにも…


由緒書きより
島田神社 由緒書きより

「熊野権現は貞治年間島田城の守護神として城主牧高経公の崇敬殊に篤かり」とあります。
(写真の右から3行が該当部)


大通りを隔てて200mほど離れた神社と城跡ですが…

拝殿
島田神社拝殿

少なくとも650年前から、この地で共に歴史を見つめ続けて来たという訳ですね。
歴史って、勉強は苦手でしたけどやっぱりロマンを感じますよね。
天白区にはまだまだ沢山神社や史跡がありますので、行く先々で色々と覗いてみたいと思います。


それでは、今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願い致します。


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