ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ヴァンゴッホの耳 その1

2018-08-17 | 調査・探求

ヴァンゴッホの「包帯された耳のある自画像」1889年 Credit: The Samuel Courtauld Trust

 

 

美術館で、どんな小学生や観覧客にでも、画家ヴィンセント・ヴァンゴッホについて、なにをご存知か尋ねると、「星空の夜」や他の傑作については挙げない。
彼らはこう答える: 「彼は自分の耳を切リ落としました。」と。

 

しかし、1888年12月23日の運命の夜に起こったことについての真相はーこの画家は一瞬の狂気の沙汰で、耳すべてを切り落としたのか、それとも耳朶(耳たぶ)を切ってしまっただけだろうか?ー 数十年にわたり美術史家達を分割していた、昨年(2015年)の夏までは。 アマチュア歴史家のバーナデット・マーフィーが、事件後ゴッホを治療した医師がスケッチした、画家が左耳たぶのほんの小片を除くすべてを切り落としたことを示す図を含む本を出版したのだ。

 

出版された本と併せてドキュメンタリー「死者の秘密:ヴァンゴッホの耳」が制作され、 PBS局(米国・公共放送サーヴィス)で水曜日夜10:00から放映される(注:2016年12月のことだが、2018年8月初旬にも再放送された)が、これは、このミステリーに焦点を当て、フランスに住む英国人が、どのようにして真相へのヴェールを最終的に破ったか、その証拠を明らかにしていくものである。

 

バーナデット・マーフィー(58歳・2016年当時)は、33年前に英国からフランスのプロヴァンスに移住し、アルルから約1時間運転したところにある人口800人の村に住んでいる。アルルに、ヴァン・ゴッホは1888〜89年の16ヶ月間住み、 そこで200枚の絵画を描いた。マーフィーが、家族や友人と頻繁にアルルの町を訪れると、話は常にゴッホについてだった。

 

「私はアルルの史料館の庭を歩き回っては、ガイドが『彼は耳全体ではなく耳たぶを切り取っている』と言うのを聞くかと思うと、もう一人のガイドは、『彼は 耳すべてを切り落とした』と言うのも聞いたのです。何故真相を知ろうとせず、馬鹿げた言い合いをしているのだろうか、と見えたのです。」とマーフィーはポスト紙に語る。「警察が呼び出されたにもかかわらず、その夜に何が起こったのかは、実際には分かってはいなかったのです。 これに関しての医療記録があったはずです。」

 

当時35歳のヴァン・ゴッホは、その年の12月に、常軌を逸した行動を見せ、わずか2ヶ月で同居していた画家ポール・ゴーギャンを新進芸術家コロニーから追い出してしまったほどだった。12月23日、ヴァンゴッホはパリに住む弟ティオから、婚約した、との手紙を受け取り、これで弟からの財政的援助や感情的支援を失うのではないか、と恐れ、どうやらそのせいで、自身の耳を切り落とす行動に出たようだ。

 

2008年後半にマーフィーが病気療養で家にひき籠った時、彼女はその(ゴッホの)事件について読み始めた。読み進むうちに、彼女は、事件の不一致性に興味を持ち、最近の姉の死をきっかけに、自分の人生のこれからは重要なことを達成していこう、と動機づけられ 、 地元の美術学校での教職を辞めて、それからの7年間のほとんどを、証拠収集や、その発見を本「ヴァンゴッホの耳」に書くのに費やした。

 

「(ヴァンゴッホの事件のあった)この地域に住んでいると、(ヴァンゴッホの事件についての)話には、小さな間違いや、真実を伝えてはいないことに気が付いたのです。」と彼女は言う。「それを見極める唯一の方法は、探偵や刑事が、未解決事件を再調査するようなことでした。そして私はそれをしたのです。こんなに長い時間がかかるとは思いませんでした。」

 

マーフィーは若い時から好奇心が旺盛であった。ロンドン郊外で労働者階級の八人の子供の最後に生まれ、読書や、公立図書館を利用することを、奨励されて育った。そして過去に彼女のアイルランドの家系を探求・研究をしてきた経験から、公式の記録を超えて史実が往々にしてあることを教えられたと、彼女は信じている。

 

彼女がヴァンゴッホの研究を開始したばかりの頃、あの運命の夜についての当時の新聞記事は、一つしか存在しなかったー50以上の新聞社や資料館に電話をかけたり、足を運んだり(その多くは現在のように記録がデジタル化されてはいなかった)することで、彼女はさらに4件の記事・記録(彼が剃刀を使用したことを裏付ける記録を含む)を掘り返した。この画家の書簡類を読んでわかったことは、誰も彼のオランダ姓を発音できなかったので、名前の "Vincent"ヴィンセントとだけ署名するよう心得ていたことである。記事記録は、"Van Gogh"ヴァンゴッホという姓を含んでいなかったし、それ故彼についての書かれたいくつかの新聞記事は、以前の調査で見逃されていたのだった。

 

調査を始めてから一年後の2010年1月、彼女はこの謎解きに重要な、いわゆる「硝煙の立ちのぼる銃」(=決定的証拠)を発見したのだ―ヴァンゴッホの医師、フェリックス・レイ博士が描いた、彼の耳が耳たぶの一部を残してすべて切り落とされているのを示す図である。アムステルダムにあるヴァンゴッホ美術館研究図書室での、非常に衝撃的な発見への手がかりは、以前は見逃されていたタイム誌編集者からの1955年付けの手紙であった。それは、ヴァンゴッホが自分の耳全てを切り落とした、という記事を間違いだと批判した読者のクレームへの返信だった。 その編集者は、クレーム者への返信に、1934年に生まれたヴァンゴッホの”Life for Lust”(邦題:「炎の人」)小説を書いた著者アーヴィング・ストーンが、画家が何をしたかを正確に示した図を所有している、と述べたのだ。

 

「1955年のこの手紙に述べられている図が、未だ存在しているのかと、私はずっと考え続けていましたが、確かにそれはまだ存在していたのです」とマーフィーは言う。

 

 

ヴァンゴッホの耳がすこしの耳たぶを残して切り取られたのを示すヴァンゴッホの医師による図:バンクロフト図書館(University of California, Berkeley)

 

  

goodreads

 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旅立ちの年 | トップ | ヴァンゴッホの耳 その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

調査・探求」カテゴリの最新記事