七州城(愛知県) | おおとり駆の城日記

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愛知県豊田市の七州城(拳母城)です。
七州城の名はここから三河、尾張、遠江、信濃、美濃、伊勢、近江の七ヵ国が望めたことから名づけられたと言われています
また、拳母(ころも)という地名ですが、もともとはこの地区は拳母町・拳母市といっていましたが、昭和34(1959)年に豊田市に名称変更されました。
理由は言わずもがなですが、トヨタ自動車が本社工場を構えたことにより、当時田舎町だった拳母市が一気に世界有数のクルマの町へと発展したのです。

あまり歴史的に特筆すべき出来事のあった城ではありませんが、簡単に七州城の歴史をひもとくと・・・

江戸時代のこの地域は、衣藩(後に挙母藩)、伊保藩、刈谷藩、岡崎藩や旗本領、寺社領が入り乱れる地域でした。
挙母藩は、慶長9年(1604年)に三宅康貞が1万石の大名として封じられたことにより立藩されます。ただ当初は現在より東の矢作川沿いに陣屋を構えた程度でした。
その後、本多家、内藤家と領主が替わり、江戸時代中期の明和3年(1766)に藩主となった内藤学文(さとふみ)のころ、幕府の許可を得て、水害に弱い矢作川沿いから安永9年(1780)に丘陵地である童子山に築城を開始し、天明5年(1785)一応の完成をみました。
泰平期の城として戦乱に巻き込まれることもなく、内藤家は、明治維新まで7代にわたりこの地を治めました。
明治4年(1871)には廃城となってすべての建物が取り壊されています。現在は豊田市美術館などの敷地となり、市民の憩いの場となっています。


復興隅櫓

同じ三河の田原城に似た外観ですが、石垣だけは当時のもののようです。


櫓台の内側からみた隅櫓
鉄筋コンクリートのようですが、中には入れません。


七州城隅櫓再建之碑
昭和52(1977)年に再建されています。


又日亭
近隣の寺部城というところにあった書院と茶室を市が移築したもので、現在も使われているようです。


復興隅櫓裏の石塁
なんとなく当時の遺構っぽいですが、説明板などがないのでわかりません。


豊田市美術館
水とガラスの殿堂ともよばれる美しい建物です。
こちらの方ががお目当ての人が多く駐車場はいっぱいでした。


現在周辺には住宅地やビルが広がり、景観としては「三州城」くらいでしょうか。



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