岡山城の訪問レポートその2です。
本丸中段に入ってきました。
本丸中段に入ってきました。
月見櫓
本丸中段に現存する唯一の櫓。さきほど下から見上げたときは2層に見えましたが、本丸内から見ると3層に見えます。
よく見ると壁の途中から石垣があります。最上階は雨戸が閉められていますが、内側には高欄が設けられているそうで、本当に名前のとおり、ここから月を愛でたのでしょうね。年に数回一般公開もされているそうです。
本丸中段に現存する唯一の櫓。
よく見ると壁の途中から石垣があります。
不明門(あかずの門)
中段の一番奥にある大きな櫓門。ここから上段へと上がります。これも昭和41年のコンクリート再建です。
門の左には「岡山中学の阯」と書かれています。戦前には旧制の中学校が本丸内にありました。
中段の一番奥にある大きな櫓門。ここから上段へと上がります。
門の左には「岡山中学の阯」と書かれています。
本丸内から見る天守(南面)
大入母屋屋根を2つ重ねた上に2層の望楼部を乗せたいわゆる望楼式天守ですが、北側や西側から見るのとではずいぶん印象が違います。
南面から見る天守は横に長く、石垣も低いため、全体に重心が低くどっしりとした感じがします。
大入母屋屋根を2つ重ねた上に2層の望楼部を乗せたいわゆる望楼
南面から見る天守は横に長く、石垣も低いため、
江戸時代は城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれていたそうですが、明治4年の一般公開を機に「後楽園」と改められています。
後楽園の名称は中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」からとられています。
「天下の人々が憂えるのに先立って憂い、天下の人の楽しんだ後から楽しむ」という意味で、儒教精神に基づく忠国の情を意味する言葉とされています。
へー、今の政治家に聞かせてやりたいですね。
ちなみに東京ドームのある東京都文京区の小石川後楽園も同じ由来だそうですよ。
後楽園の名称は中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「
「天下の人々が憂えるのに先立って憂い、
へー、今の政治家に聞かせてやりたいですね。
ちなみに東京ドームのある東京都文京区の小石川後楽園も同じ由来
西手櫓
月見櫓とともに岡山城で戦災を免れた現存櫓のひとつです。ただ、
二の丸のさらに西側、
一旦城跡公園を出て、オフィス街を歩くこと5分。
小学校の校庭には入れなかったので、
近くには外堀の跡もありました。
さあ、これから四国に向かいます。