旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベットとの出会い

2018年11月26日 | 日記


チベット自治区ラサの寺院前で

よく誤解されるが、
僕は昔からチベットに興味があった訳ではない。
好きでもなかったし、行きたい、と思った事すらなかった。

いつの間にか、チベットと関わりを持つようになったのだ。

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僕がチベット文化と初めて出会ったのはインドだった。

多くの人が出会うであろう、
チベット以外のチベット世界、インドのダラムサラではなかったし、
ネパールでも、ラダックでもなかった。

僕の場合は、ヒマーチャルだった。

昔、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州のヒマヤラの麓の
山間の小さな村に長く居た事がある。
地理的にチベットとも近いヒマーチャルには多くのチベット族が住んでいる。
そこでチベットの世界に出会ったのが始まりだった。

今の仕事を始める前、
長旅の途中だった僕は、その小さな村でゆっくりと滞在していた。
ゆっくりと滞在、というと聞こえは良いだろうが、簡単に言うと沈没していたのだ。

「マナリ」という場所の名前を知っている人であれば、
想像がつくだろう。
僕は、マナリの奥の小さな集落であるオールド・マナリや、
その周辺に滞在していたのだ。

当時、夏場のマナリには、チベットからやってきた
ゴリゴリの行商が道ばたに、たまに居たりした。

パスポートも持っていないのは間違いなく、
飛行機にも乗れないであろうその行商達は、
ヒマーチャルに隣接する同じインド領内のチベット文化圏のラダックからではなく、
チベット本土から来ていた。
昔、スピティ渓谷のカザだったか何処かで出会った地元民から聞いた話だが、
(今は知らないし、本当はどうかは分からないが)
当時はどーやら、
チベット本土の西チベットからインド領スピティ渓谷の近くに
オフィシャルでない、国境をまたいで行き来できる隠されたルートがあるという事だった。
それが要因かどーかは分からないが、
スピティ渓谷に近いマナリにもチベット本土の行商がいたのは事実だった。

マナリにはチベット族も多く住み、
チベット市場もあった。

俺は、その当時から古い物は好きだったので、
その市場の一画にあった骨董屋というかチベット物を扱うガラクタ屋で
店主のチベット族のオバチャンと世間話をしていると、
ある時、道ばたに居た行商のオヤジが店に入ってきた。
どーやら、地元のチベット族が営む骨董屋に営業というか、商品を売りにきたのだった。

僕が骨董屋のオバチャンと行商のオヤジのやり取りを聞いていると、
ヒンディー語でもなく、もちろん英語でもない言語で会話していたので、
「何語なの?」
と骨董屋のおばちゃんに聞くと、
チベット語だと答えた。

その時、人生で初めて、
「これがチベットの言葉なのか〜」
という事を思ったのが記憶に残っている。

思えば、それが初めてチベットと関わった、と言える時かもしれない。

もちろん、それ以前にもダラムサラに行って、なんとなーくチベットの雰囲気は
知っていたが、全然、ピンッと来ていなかった。

...で、その行商のオヤジは小汚い袋から、
小さな石だとか何かの動物の角だとか何かを
骨董屋のオバチャンに見せていた。
俺もついでに見てみたが、
当時は知識がまるでなかったので、それらが何だったのか覚えていない。

まぁ、なんやかんやとオバチャンとオヤジは話をしていたが、
ふと、オヤジが俺の方を見て、何か言った。

俺は、「オヤジ、なんて言ってるの?」とオバチャンに聞くと、
「ジーを見たいか?」と言っているとの事だった。

当時、俺は【ジー】が何たるかは分からなかったが、
とりあえず、「見たい」、と答えると、「ちょっと待て」、
とオヤジは言い、店を出た。
少しすると、オヤジは店に戻ってきて、俺の胸元にグッと握った拳を突き出した。
一瞬、なんだなんだ、と思ったが、開かれたゴツイ手のひらの中に、一個のビーズがあった。
今思えば、大きめのサイズのジーだった。
が、その時は、模様が入った変な石のビーズ、としか思わなかった。

それが本物か偽物かは、今となっては全く分からないが、
記憶を思い出す限りでは、
いわゆる、一見して偽物と分かる安物な偽物ジーではなかったようには思える。

そして、値段を聞いて驚いた記憶がある。

当時、一泊500円以下の宿に泊まっていた俺にとっては、
とんでもねー金額だったのは覚えている。

まぁ、とにかく、
それが俺とチベット、そしてジービーズとの初めての出会いだったのだ。

以前、このブログでもこの仕事を始めたきっかけを書いたが、
それはネパールでのチベット仏教の数珠を買う事から始まった。

しかし、よくよく考えてみると、
それ以前、この行商のオヤジとの出会いがチベットと関わる事の始まりだったかもしれない。



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