旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

コロナ後の「旅」への変化

2020年06月08日 | 日記


僕は家の外に出て、
空を見上げた。

安倍総理が「マスク、二枚を配布します」と
発表したその日に。

もうだいぶ前の事の気がする。

今さらアベノマスクは昨日届いた。
今では地元のドラッグストアには大量にマスクは並んでいる。

そして、
2020年6月上旬の現在、
世界は経済活動を再開しだした。

コロナによって、
多くの人が突然苦況に立たされ、
多くの命も失われた。

コロナ前と
コロナ後では
世界が変わるという言葉をよく目にする。

人々の生活様式と仕事の関わり方が一変するらしい。
阿鼻叫喚の大不況もくるって見解も目にする。

ネットでもメディアでも
専門家や事業家や政治家や一般の人々の
様々な意見や憶測の言葉が飛び交う。


わしかて色々思い、感じ、
考えましたよ、これ。


結果、強く思ったのは、
「日本に居たら、これ、ダメじゃね?」
とゆー事でした。

経済的な事とかは、
個人個人の懐事情や仕事で違うだろうから、
そりゃ、分からんて。

僕が強く感じたのは、
今の日本の政治家がこのレベルだって事を強烈に分かってしもた事。

世界が大混乱し、
国民を思いやり強く迅速なリーダーシップを発揮する国がある中、
日本の政治家の発想は、

お肉券
お魚券

こりゃ、ダメでしょうね

この先、
俺にとっては、
自分のやりたい事を実現するにゃ、
日本に居ても無理じゃな、と。

何処の国でも政治家なんて似たり寄ったりだとは思っていた。
日本はマシさ、とも思っていました。

しかし、
このコロナ事態で、
国によって政治家の力量に
大きな大きな差があるのを
誰もが知ってしまったのではないでしょうかしら?

何処に居ても、
どの国に居ても、
どう生きるか、
自分の生き方は、自分次第だとは思う。

でも、
環境ってのは大事やさかい。

環境のせいにするという話しではないのです。

自分にとって良くないと思える環境で生きる事より、
自分のやりたい事へ繋がる環境を選ぶほーが良いんじゃんか、って話しです。

もちろん、
それが出来ればとゆー大前提があるのだけどさ。

絶望的な日本の政治のみならず、
自粛警察なるものも出たし、
コロナに対してヒステリックとも思える反応や、
コロナ関連以外でも最近では、
ネットでの誹謗中傷による不幸な出来事まで起こる。


俺の付き合いの長い友達は、
海外移住を調べ始めたと言う。

日本で店舗も経営してるし、
子供も居るので、海外には住まないだろうと思ってた友達が、
海外移住を選択肢に入れてる事を知って、わしゃ驚いた。


ワシかて日本の良さは知ってるつもりである。
医療制度だって凄い充実してる。
アメリカだったら歯医者なんて費用面で気軽に行けないだろう。
ネパールやインドは違う意味で気軽には行けない。

最近のアメリカでの人種差別での不幸な出来事も日本では少ない。
(ただし、日本人は人種差別主義思想を持った人が多く居ると僕は思っている)

日本は銃社会でもない。

間抜けな決定をする一方、
政治判断からの金融関係で大金を得る事も可能だった。

日本は良い面も充分にある。

コロナで金に困った事業者や人々への給付制度も、
遅いのは置いておいて、一応、実施した。
しかし、思うのです。

この先、日本は、
自分にとって「住んでいて」面白い国かしら?
エキサイティングな事が想像できるかしら?

それらの良い想像が浮かんでこない、のです。

日本に居るにしても
日本以外を選択したとしても、
少なくとも、
今、確実に分かっている事だけでは、
以前と同じにやるのは無理という事。

つまり、
僕の場合、
これまで続けてきた「海外と日本を往来する生き方」は
今迄と同じにはいかないと思うのです。

大手航空会社である、あの愛すべきタイ国際航空だって破綻したし、
(少なくとも当分の間は)海外旅行関係は良い方向には間違いなく動かない。

外務省の海外安全ホームページとか見てるが、
今まで見た事がない、世界の危険情報を表す世界地図が出てる。
世界中が、レベル3の渡航中止勧告かレベル2で埋め尽くされてる。
安全な国なんて何処にもない。

日本からの渡航者に対しての入国制限措置をとってる国の一覧は、
ズラッ〜と国名・地域名が並ぶ。

時間が経過すれば良くなるかもしれないが、
それがいつになるのかしら。

海外往来を軸とした商売や生き方は
変わらざるをえないだろう。

一部を除いた通常の海外古物仕入れの業者は、
年間2、3回位の海外渡航だろう。
もしかしたら、年1の人も居るかもしれない。
年1回ペースの渡航であったら、そんなに影響はないかもしれない。

しかーし、
僕の場合、毎年、年間5回も6回も、時には7回も海外往復してる身である。

こりゃ、以前と同じよーにはいかんとは思う。

出発1週間前にネットで安い航空券を予約して、
気軽に旅立つ。
そんな事はまたできるようになるだろうか。
いや、
無理なよーな気がするのです。

もし、できたとしても、違う方法をするつもりである。
それは、「旅」であるかもしれないが、
従来の「旅」とは違う感覚になるかもしれない。


「旅」という捉え方を
変えなくてはいけないだろう。


移動にはこれまで以上に時間がかかり、
移動する費用も高くなるだろう。

安全と費用は連動している。

今や世界の人々は、「安全な旅」を求めている。

普通であれば、
俺自身は安全な旅なんてクソくらえと思っているが、
今回は感染症である以上、他者へ感染させてしまうとゆー迷惑をかけたくないので、
受け入れざるをえない。

金がかかってしまう。
気軽には移動できない。

つまり、
「国境間の移動を気軽に安く飛行機で行う」、
とゆーのを自国外への「旅の前提」としていた今までの常識は少し変わるかもしれない。

では、どーするか。


国境間の移動だけを旅としない考え方が軸として必要になってくるのです。


人生は旅である、とは
どこかで聞いた言葉だが、
まさにそれである。


何処で生きるか、
もっと言うのであれば、
何処の国で、どう生きるのか。

その選択が必要になってくるのです。

そーなった時に、
ある種の「覚悟」がいるのです。



その覚悟ってのを考える今日この頃。




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