五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログも18年目に突入。
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

神明社

2020年07月06日 | 市川三郷百景
市川大門に紙漉(す)きを広めた人を祀った神明社(しんめいしゃ)の総代さんが我が家に訪ねてきました。
社(やしろ)を町の文化財に申請するので協力してほしい、という内容です。

神明社は私が総代を務めている八處女(やおとめ)神明宮の本殿の隣にあります。
というよりも、元々神明社のあった場所に八處女神明宮を移したのです。

ただし現在の神社庁への届けは「八處女神明宮」ということになっていますから、いわば「軒を借りて母屋を獲った」形になっています。
昔は紙漉きの業者もたくさんいて、祭りの日(本来は7月20日、今は第二土曜日)には屋台はもちろん奉納相撲などもあって盛んだったらしいのですが、今は一つの組・十数軒で、それこそ細々と守っています。
一方で、借家人である八處女神明宮は、氏子が十一組・約二百戸ありますので、勢いはどうしても勝るということになるわけです(決して威張って言っているわけではありませんが)。

それはともかく、少ない人数に加えて高齢化が進み、今回町の援助をお願いすることになった次第。
元々は町の所有物であったのを紙漉き業者の組合が譲り受けた経緯があるそうで、言わば「元の状態にお返しする」と言えないことも無いのだとか。
行政は特定の宗教への肩入れはしませんが、この「神明社」の方は元々「紙明社」といって、製紙の技術をこの地方に広めた「甚左衛門」という方をおまつりしているので、宗教色は無いのです。

ちなみに、この甚左衛門さんという方は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の子、義清が甲斐の国の下司としてこの地方に館を構えた時に、京都から付き従ってきた家来なんだそうで、その方の命日が7月20日、というわけなのです。



写真の建物は八處女神明宮の拝殿、後ろに見えるのがその本殿(手前側)です。
冒頭の写真が神明社の本殿で、八處女神明宮の本殿の右隣にあり、斜め前から見たのが次の写真になります。



神明社の本殿はけっこう立派な建物で、参拝に来た方々が皆、八處女神明宮の本殿だと勘違いするのですが、こちらは神明社の本殿です。
八處女神明宮の方は、その左側の物置のような建物の中にある小さな社で、年に一度、例大祭の時だけ御開帳することになっているのです。



神明社の本殿には、写真のような彫刻が施してあって、先代の総代さんに聞くと「とても今では直せるような人はいない」のだとか。
修繕するにも、トンデモない費用がかかるようです。

そんなこともあって、今回の申請に至るということのようですね。
さて、どうなるのか。


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