遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート14

2019-08-16 | 近・現代詩人論
 中也が 一九二二(大正十一)年、中学の先輩と防長新聞の若手記者との共著で合同歌集「末黒野」を刊行。ここには(初版本、部数二〇〇部、頒価二十銭。)中也が二年二学期から三学期にかけて制作した作品二八首を「温泉集」と題して収録する。学校の成績はすっかり落ちて、ついに山口中学三学年を落第という結果になるのだが。(一家が一時、騒然とし、やがて沈鬱になったと、弟がのちに述べている。)それでも落第した当人は「ひと月読んだらわかる教科書を、中学校というところは一年もかかって教える、そんなばからしい勉強はせん」といって学校へはいかないという、そんな中也に、父の謙助がもと家庭教師の京大生(井尻)に京都へ連れて行ってくれるように頼んだという。
一九二三(大正十二)年四月、京都・立命館中学校に補欠合格、第三学年に編入が決まり、中也は山口を発つ。見送りは養祖母コマひとり。一九二五年三月に東京に移るまで京都で中学生活を送る事になる。

第二詩集『在りし日の歌』の第二章「永訣の秋」冒頭に収められたいる作品「ゆきてかへらぬー京都ー」と題した収録作品中唯一の散文詩である、ここに抜粋しよう。中也が京都に行ったという記録が無いようだからおそらく中学時代の思い出が題材になっているのだろうか。

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