遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

伊東静雄ノートⅡ-1

2019-11-12 | 近・現代詩人論
 「彼は詩集を出す時、いつも題名に非常に苦心するのが常だった。『夏草』のもとの名は「朝顔・その他」だし、河出書房の現代詩人全集に入れる時、考えた名は「光耀」「拒絶」「夜の葦」である。」と、述べているのは富士正晴である。伊東のよき理解者でもあった富士氏が簡単な年譜を書いている。ここで写しておきたい。

伊東静雄は明治三九年一二月一〇日長崎県の諫早に生まれ、昭和二八年三月十二日
国立大阪病院長野分院で死亡した。その著書は
 詩集『わが人に与ふる哀歌』(昭和一〇年一〇月 コギト発行所)
詩集『夏草』(昭和十五年三月 子文書房)
 詩集『春のいそぎ』(昭和十八年九月 弘文堂書房)
 詩集『反響』(昭和二二年一一月 創元社)
以上が生前、そして生前に出るようにと思ってはいたが、彼の死が先立ったものに
『伊東静雄詩集』(昭和二八年七月 創元社))

これですべてである。(以上『現代詩読本(思潮社版』)より)


伊東静雄が詩集の題名に苦心していたと言うことを知って、私も同じなので納得するものがあった。ところで当時「冷たい場所で」の作品について萩原朔太郎は次のような詩評を寄せている。{昭和一一年一月号『コギト』。)

  「伊東君の抒情詩には、もはや青春の悦びは何処にもない。たしかにそこには藤村氏を思わせるや  うな若さとリリシズムが流れて居る。だがその『若さ』は、春の野に萌へる草のうららかな若さで  はなく地下に堅く踏みつけられ、ねじ曲げられ、岩石の間に芽を吹かうとして、痛手に傷つき歪め  られた若さである。……これは残忍な恋愛詩である。なぜなら彼は、その恋のイメージと郷愁とを  氷の彫刻する岩石の中に氷結させ、いつも冷たい孤独の場所で、死の墓のやうに考え込んで居るか  らである。」

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