遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

伊東静雄ノートⅡ-2

2019-11-14 | 近・現代詩人論
  「伊東君の抒情詩には、もはや青春の悦びは何処にもない。たしかにそこには藤村氏を思わせるやうな若さとリリシズムが流れて居る。だがその『若さ』は春の野に萌へる草のうららかな若さではなく地下に堅く踏みつけられ、ねじ曲げられ、岩石の間に芽を吹かうとして、痛手に傷つき歪められた若さである。……これは残忍な恋愛詩である。なぜなら彼は、その恋のイメージと郷愁とを氷の彫刻する岩石の中に氷結させ、いつも冷たい孤独の場所で、死の墓のやうに考え込んで居るからである。」

この、詩評をてがかりのように、原田憲雄は「伊東静雄私記」のなかで、「冷たい場所で」にうたわれている〈昔のひと〉とは藤村であるという独自の視点を展開した。(このことをはじめてしったのは、「詩人伊東静雄」小高根次郎〈新潮選書)によるものであることを記しておかなければならない)原田は次のように述べている。

  「そこにうたわれた『昔のひと』を、藤村とみたてても、さまで検討ちがいとはなるまい。藤村はその死を『春の若草が萌えるやうに何の煩いもなくこだわりもなく、青春のよろこびを心任せに自由に歌った。』だが『冷たい場所』に使ったとき、詩を捨てた。藤村も散文では『荒々しい冷たいこの場所』を見始めていたといえないことはない。」 

長々と引用ばかりしてしまったが、この原田の文章通り、〈昔のひと〉が藤村であろうと、なかろうと、この作品の意味に大きな変化はないものとおもう。ただ、この文章の中で、はっとしてわたしがたちどまったのは藤村が詩を捨てた場所であった。藤村が詩を捨てながら,散文の世界で伊東の「冷たい場所をみはじめていたということである。さらに原田は次のように述べる。

  「だが、なぜ、それを詩のなかでやらなかったのだろう。藤村だけではない。日本の詩人は,伊東のやってくまで、『冷たい場所で』うたうことこそ、詩の任務であることに思い及ばなかった。朔太郎はそれを識っていた稀な一人で、さればこそ伊東を発見し,高く評価しえたのだ。」原田のように「冷たい場所」を詩の任務としてつまり詩人の身の置き所としてとらえているようだが、先述の富士正晴の文章には伊東の詩の理解度が深く刻まれているようにみられる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿