三十路になった発達障害児の心に浮かぶよしなしごと

ADHDとASDを脳内に引っさげて今日もブレーキのないまま止まるかぶつかるまでアクセルを全開にするんだ。


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私は祖父を悼まない

祖父が死んだ。
母から22時前に電話が来て、「落ち着いて聞いてね」と2度ほど言われた時には、おそらくそうだろうなと思った。予想通りだった。
母は何も私に言わなかったけど、妹からは祖父の認知症が進んで施設に入ったこと、骨折からがんが発覚したことまで聞いていた。骨への転移だし長くはないのだろう、と思ってから半月。
それでも思ったよりは、短かった。

翌日、通夜と葬儀の予定を伝えるメールに仕事を理由にして欠席のメールを送った。事実通夜のあった日の深夜、下手すると翌早朝近くまで原稿引っ張ったので、言い訳とも事実とも言えるし、言えない気もする。

葬式に出るつもりは最初からなかった。祖父の生前から。
私は祖父から性的虐待を受けていた。直接的な行為を伴うものではなかったが、いわゆる職場であれば「セクシャルハラスメント」に充分該当する程度のものだと思う。
私は祖父が好きだったはずだ。
けれど徐々に苦手になって、その理由がわからなくて割と悩んだ。
けれどあるタイミングで、小学校の頃に「寝ている間に触ったけどんーとか言いながら寝てた」みたいなことを笑いながら言われたことを思い出した。そしてそれが嫌すぎて寝る時に部屋のドアを絶対開けられなくなったことも、触られたら条件反射で蹴るように練習したことも(効果があったのかはわからないが)思い出した。私の中で祖父への理由のわからなかった嫌悪に、すとんと納得がいった。
納得はしたけれど辛くて何人かの友人や妹達には話した。そのうちに他のことも思い出していった。母が祖父に何度も「娘が入浴してるから洗面所(兼脱衣所)に入らないで」って言っていたこと。性的な話を私にはしたり聞き出したりしようとすること。実家に帰省していると、わざわざ人の来ない時間の書斎でアトピーの薬を塗っているのに見に来ること。電気が着いていて不思議に思ったのかと当時は思っていたし、階段を昇ってくる足音がしたらすぐに電気を消してた。けど、別に誰も使わない部屋じゃないのだ。おそらく私が風呂から上がるタイミングで覗いていたと思う。
それに気付いてからもう嫌悪しかなかった。

実家を出たあともなぜか私の一人暮らしの部屋に、通院後に上がり込んできた。数回で何とか居留守を覚えた。
いきなり携帯に電話をかけてきて、わざわさを「お母さん(祖父の実娘)には内緒な」って念を押してきたこともあった。その番号は登録しなかったから、数度かかってきたのが祖父からの電話だったのかはわからない。出ていないから。
元々そんなに得意でなかった帰省が、ほぼ完全できなくなった。

下の妹に「お姉ちゃんの言うことが嘘だとは思わないけど、だんだん悪化してるから記憶をエスカレートさせてるとこがあるんじゃない?」と言われた。
ショックだったのは信じてもらえなかったことだけじゃない。自分の記憶が自分で信じられなくなった。
ごくたまにだけど、ひどい嫌悪感で何も出来なくなるほど思い出してしまうこともあったけど、もしかしてそれすら私が作り出しただけの理不尽な記憶なんじゃないか、理不尽な怒りや憎しみ、恐怖じゃないか、とも考えた。
でもそれにしてはどうしても具体的で、どうしようもなく『ちょっとしたことしかなかった』。
そのちょっとしたことの組み合わせと積み重ねで嫌悪が膨れ続けていた。
そのうちのいくらかだとしても、私の想像がゼロから作り出したものだとしたら、いっそそんな脳を抉り出してしまいたい。

幸いだったのは、それが単なる祖父への嫌悪で、性的なもの全てや年配の男性全てへの嫌悪へと繋がらなかったことだ。
性行為にも嫌悪はないし、自分の肉体も嫌いじゃない。成人向けの性行為のある作品だって結構好きだ。ちびまる子ちゃんでおじいちゃんとまる子が風呂に入ってるシーンも微笑ましく見られる。
それはおそらくたくさんの幸運が重なった結果で、だから私はさほど困らないでいられる。それでもたまには何も手につかず胃痛と吐き気と喘息がストレスで悪化するくらいには、私の心に傷をつけたんだと思う。

祖父の死の知らせには何も思わなかった。
悲しみも、爽快感も、怒りも、解放感も何も感じなかった。
翌日に知った上の妹が電話口の先でわんわん泣くのを聞いて、おそらくはこれが普通の反応なんだな、と思いながら、私は言葉を何とか選んで妹にかけていた。
ただ生きていた頃と同じように嫌悪がある。元から欠席するつもりだったけれど、おそらく私は葬儀の場にいるだけで異物になるだろうと思った。
その場にいる人の誰にも悪意がなくても、ああ無理だな、悲しんでいる人達の中に行けない、と思ってしまった。祖父の話を聞きたくなかったし悲しむふりすらできないと思った。

そろそろ火葬が終わった頃だろうか。
上の妹が「あなたはおじいちゃんに1番可愛がられてた」と母から言われていたことを、妹本人から聞いた。
妹二人は何も知らなかったし、おそらく信じられない思いだっただろう。私の気持ちに巻き込んでしまったことは申し訳ないと思う。
けれど、祖父の死ですら消えなかった嫌悪感は、おそらく祖父にされたことが、嫌な記憶が事実だと証明している気がする。
そして、外から見ても1番可愛がられているのが私ではなかった、ということは、いわゆる『愛玩用と搾取用』のうち私は搾取用でしかなかったのではないか、と新たな怒りが湧いている。
とはいえそれは既に憶測にしかならないから、多少は、どうでもいい。

落ち着いたらお参りに来てね、と母には言われたけれど、手を合わせるふりくらいはできたとしても、私は祖父を悼まない。
死んでしまえば怖くはないけれど、死んでしまっても嫌いだ。おそらく許すことはない。
ただできれば、この記憶は少しは薄れてくれればいいと思う。私のために。

ちなみにもしも亡くなったのが父方の祖母であれば、締切を放り捨ててでも私は駆けつけたと思う。
その時にまだ祖父(母方)が生きていたとしても嫌悪を抑え込むくらいには。
そのくらいには、親戚に情はある方だと思う。普段から帰省できるかと言うとなかなか帰れないので、薄い方ではあるかもしれない。
結局祖父とは結婚した時以来だから、4年ほどは顔を合わせなかったことになる。それだけ顔を見せなかったのに、もう会わないことにほっとしている。
この安堵感が私にとっての事実証明だ。あまりに曖昧で主観的なものでしかないけれど、少なくとも両親に対しては墓まで秘めていくつもりなので、ソース不足は許して欲しい。