「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

新ブログを開設しました

2022-04-02 | 雑記

2022年度に自身の研究室を立ち上げるのに際して、新しく下記ブログを始めることにしました。思うところがあり、今度はHatena Blogにしてみました。もし宜しければ、そちらも覗いてみて頂ければ幸いです。

「不可視の両刃」放射線に挑む ~北の国から~
https://sapporofuku.hatenablog.com/

まだ自分の研究室には、モノもない、ヒトもない、カネもないという悲しい状態ですが、今後、少しずつ大きくしていきたいと思っています。そのような過程をご紹介できればと考えています。


公募戦士の忘備録 ~自身のラボを立ち上げるまで

2022-03-12 | 学術全般に関して
「公募戦士」という俗語があります。
大学などのアカデミアのポスト、例えば教授や准教授の場合、公募で集まった国内外の候補者の中から業績や適性などを鑑みて、採用者が決定されます。近年、国内のポストを巡る競争は厳しくなっており、博士号をもつ研究者であっても希望するポジションを得ることは難しくなっています。1件の公募に対して10や20を超えるような応募者が殺到することも珍しくないと聞きます。このような公募戦線であがいている研究者のことを俗に公募戦士と呼ぶことがあります。

公募に応募するのは、正直、しんどいです。
実際、機関ごとに異なる書式の提出書類を準備しなければなりませんし、ときには上司やメンターからの推薦書も集める必要があります。そうして入念に準備をして応募しても、なかなか書類選考を突破できませんし、面接で落とされることもあります。しかし、国立大学などで自身のラボを立ち上げて、やりたい研究を進めていこうと思えば、やはりこの公募という戦場を避けて通ることはできません。

私もまた、ここ数年、公募戦士として戦線に参加していました。
英国大学院で学位取得の目途が立ってから帰国して、民間病院を経て、医局に戻り、助教をしながら臨床、研究、教育に従事していましたが、「自分のやりたい放射線研究をしたい」と思い、学内外の公募、すなわち旧帝国大学や地方国立大学の教授や准教授の公募に応募していました(私の所属医局にはとても理解のある教授がいたのでたいへん助かりましたが、医局によってはなかなか許してもらえないかもしれません)。
例えば、2019年度に某地方国立大学の教授選に応募したところ、面接を経て、最終候補の一人になりましたが、結局、敗北しました。その時に採用された方は、私よりも10歳以上も年長者でしたが、客観的に見て私よりも研究業績が乏しく、10年、20年後の教室の成長や将来性については火を見るより明らかでした。しかし、それでも負けることもあるのです。研究業績だけが評価軸ではなく、人格、教育実績、そしてコネなどの様々な要素が考慮されます。
2020年度に某旧帝国大学の特任准教授ポストの公募に勝つことができ、2021年1月から着任しました。しかし、そのポストは自身のラボを立ち上げて、好きな研究ができるというポストではなかったし、その他にも色々な問題があったので、引き続き、公募戦線に留まることにしました。そして、2021年度の北海道大学の准教授ポストの公募に挑み、なんとか採用されたのでした。
こうして、なんとか自身のラボを立ち上げることができることになりました。

ラボの運営は、新規性のある成果を出して論文として発表したり、特許を取得しながら、一方で学生や若手研究者を指導して、後進を育成することもしなければなりません。研究と教育を高水準で達成する必要があります。
ラボ設立に向けて期待と不安が胸がいっぱいです。

【予告】新しいブログを始めます

2022-02-19 | 雑記
ご無沙汰しております。
2022年4月より自身の研究室を立ち上げることが決まり、心機一転、新しいブログを始めることにしました。英国大学院留学に関する情報提供を目的とする本ブログの目的は達したと考えており、新ブログを開始した後でこちらを閉鎖したいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

2020年6月の雑感

2020-06-01 | 雑記
さて、随分とお久しぶりとなってしまいました。日本に本格的に戻ってきて、結局、4月から東北大学の古巣に復帰したのですが、新型コロナウイルス感染症の影響などもあってなかなかブログ記事を更新する気分になれなかったのでした。
次のブログをどうするか漠然と考えていましたが、答えは出ないまま、とりあえずこのままこのブログを更新することにしました。

日本で新型コロナウイルス感染症が拡大し、社会不安が大いに高まっていた間、私は感染症、呼吸器疾患の治療(集中治療含む)は専門外ですので、大学病院内でもどうしても蚊帳の外という感じではありましたが、宮城県と東北大学の要請で軽症者の対応にすこし携わる機会はありました。今回のパンデミックは、医療従事者の一部には本当に辛い体験を強いるものでしたが、私としては振り返るとあっという間だったというか、色々と葛藤もありましたが、気がついたら第1波を乗り越えていたというような感じです。
この間、残念ながら、実験は全く進めることができませんでしたので、研究の進展はほとんどありません。留学時代のデータを論文化したり、研究助成申請書を書いたりして過ごしておりました。

本当は4月から自分のラボを持ちたかったのですが、残念ながら、その機会はついに持てませんでした。無念です。しかし、諦めずに今後も挑戦していきたいと思っております。
落ち込んだりもするけれど、私は元気です。

卒業報告と謹賀新年 ~令和2年~

2020-01-01 | 英国大学院博士課程に関して
明けましておめでとうございます。
私にとって、本年も勝負の年になります。
ブログは続けるつもりですが、英国留学は終了したので、今後はどうしようかと考えています。今までは、はっきり言ってあまり意味が無かったかもしれませんが、一応は匿名であることを心がけつつ、こちらのブログ記事を書いていました。しかし、次はもっとオープンな形でブログ記事を書きたいとも考えており、新たな方法を模索中です。

ブログ記事の更新が遅くなりまして、昨秋からストップしており、申し訳ありませんでした。
無事に学位審査会(Viva)を突破して、12月に開催された学位授与式に出席して博士号(PhD)を取得することができました。そして、もう日本に戻ってきております。私事ではありますが、10月下旬に結婚式を挙げてからというもの、プライベートと仕事でなかなか忙しくしており、ブログを書く暇が無かったと言えば嘘になりますが、あまり集中してブログ記事を書くことが出来なかったというのが正直なところです。
この間、英国では総選挙が行われ、ついにEU離脱が実施されることになりました。英国の情勢もこれからさらに大きく変わる可能性があります。私の第二の祖国ともいうべき、思い出深き英国がどこへ向かって進むのか、今後は日本から見届けたいと思います。

学位審査会は、私の場合、3時間ほどで済みましたので比較的短かったと思われますが、それでも非英語圏出身者(non-native speaker)である私にとってはやはり厳しい試験でありました。試験官達は、学内と学外の教官・研究者らで構成され、博士論文の内容に沿って細かいことまで試問されました。IELTSの時にも使ったテクニックでしたが、「すみません、もう一度(質問を)お願い出来ますか?」「判りやすく質問を言い換えてもらえませんか?」などと言って小細工をしながら時間を稼ぎつつ、容易な英語で回答するという感じです。ところどころでしどろもどろになりながら、試験官達の質問に丁寧に答えたのが功を奏したのか、思いがけず試験結果はかなり高評価でした。8月末に提出した博士論文の修正もほとんどなく、11月には正式な受理に至りました。

私が参加した学位授与式は、170年の伝統を感じさせられる、厳かな雰囲気の中で行われました。
本学は英国で9番目に古い研究大学であり、その歴史は東京大学よりも長いものがあります。私も大学公式のPhDガウンを着て、すこしハリー・ポッターになったような気分を味わいながら、式に参加しました。式の中では、出生記した卒業生ひとりひとりが学長と握手をする機会があり、指導教官に見守られながら、私も万感の想いで最後の握手をしたのでした。
式後の懇親会では、指導教官や友人、家族とも色々な話をしました。

……振り返れば、3年間はあっという間でした。

日本に戻ってきてから、とりあえず民間病院で働いております。しかし、来年度からどうするか、まだすこし迷いがあります。自分としては、これからも福島原発事故被災地へ成果を還元できるような研究を続けたいと願っており、もしかすると大学に戻る可能性もまだ残されています。
4月から私はどこの空の下にいるかは判りませんが、その空はきっと皆さんが見上げる空と繋がっています。
また、このブログで進捗をご報告したいと思っています。

学位審査会 Viva に向けて

2019-10-12 | 英国大学院博士課程に関して
すっかりご無沙汰になってしまいました。前回の投稿から、日本への帰国、次の職場での準備などが色々とありまして、多忙でした。
この間、ノーベル化学賞を日本の吉野彰博士が受賞されました。家が近かったこともあり、私は吉野先生の御息女を存じ上げています。リチウムイオン電池の開発に貢献した技術者が、このような身近にいらっしゃったことに対して、改めて驚きを覚えました。リチウムイオン電池の開発は、数年前からノーベル化学賞が噂されていたような素晴らしい業績であり、私も昨年日本国際賞を受賞していたことは存じ上げていました。実際にノーベル化学賞を受賞されて、国際的に高く評価されたのは、とても良かったと思います。
個人的に、ノーベル化学賞がノーベル賞科学分野の中で最も好きです。受賞者の顔ぶれを見ると、その受賞対象範囲の広さに驚かされます。放射線分野では、やはりアーネスト・ラザフォードとマリー・キュリーの名前が印象的です。科学者だけではなく技術者にも門戸が開かれており、実に興味深い方々が受賞者になっています。実に面白い賞だと思います。

さて、日本は最強の台風が襲来して大変な事態を迎えていますが、私は再び英国北アイルランドに戻ってきました。写真のように、ベルファストは今日も曇りです。
来週14日に予定されている学位審査会(Viva)のために準備に追われています。博士論文について数時間の質疑応答に応じなければなりません。日本語で質問されても答えに窮するような内容を問われることになるでしょう。
正直、今から、気が重いです。

ベルファストのお祭り騒ぎ - Culture Night 2019 -

2019-09-20 | 2019年イベント
お久しぶりのブログ記事投稿になってしまいました。
前月末に博士論文を提出してから、色々なことがありました。アイルランド共和国や英国北アイルランドを含めてアイルランド島全体にあちこちレンタカーで出掛けましたし、ベルファストの住居を引き払って、日本に帰国するための準備にも追われていました。もちろん、研究費助成の申請準備や、論文投稿準備などもありました。

今日20日は、2年ぶりにベルファスト最大のお祭りである「カルチャーナイト Culture Night」に足を運びました。初めて参加した3年前から今回で4回目になりますね。昨年は日本に帰国中だったので、私が直接参加するのは3回目になります。
街中が楽しい音楽や装飾に彩られて、老若男女が騒ぐ、このお祭りが大好きです。
Culture Nightの由来はイマイチよく判っていませんが、聖アン大聖堂St Ann's Cathedralから市庁舎City Hallまで、様々なイベントがあちこちで開催されます。東京のど真ん中と比べると人は少ないのですが、観光客も多いのでいつもよりだいぶ人が多く感じました。



レンタカーでの旅行は、モハーの断崖、タラの丘、グレンベアー国立公園というアイルランド共和国屈指の観光地を回りました。いずれも素晴らしい景観の場所です。アイルランド共和国を旅行する方々が訪れるべき場所であるような気もしますが、ダブリンから遠いためもあるのか、いずれもあまり日本人観光客は見かけませんでした。





個人的には、グレンベアー国立公園の風光明媚な景色が気に入りました。ドネゴール地方はアイルランド島北西部であり、まさに欧州の外れにあるというか、地の果てなのです。剥き出しの岩が並ぶ大地に白い羊たちが群れる景色は、どこか懐かしく、面白く感じられたのでした。

私の英国北アイルランドでの生活も終わりが近いです。

博士論文の提出とサーカスの観劇

2019-08-31 | 2019年イベント
8月末に博士論文を大学Exams Officeへ提出しました。今後、外部の評価員を交えた学位審査会(Viva)が開かれ、その後に博士論文の修正版を提出し、(希望者のみですが)学位授与式・卒業式に出席という流れになります。まだまだ気は抜けませんが、博士論文の提出をもって大学院博士課程の修了となりますので、一応、ここで一つの区切りがつきました。
2016年9月から英国Queen's Universityの大学院医学博士課程に入学し、実験、研究を進めて、博士論文をまとめるのに3年が経ちました。とくに博士論文については、マンチェスターでの学会中も、指導教官と何度もやりとりして、最終的な修正を行いました。博士課程中にあった良いことも悪いことも、色々なことが思い起こされて、Officeで担当者に刷り上がったばかりの論文を提出する時にすこし手が震えました。

まあ、何はともあれ、ここで気分転換を兼ねて休憩することにしました。サーカスです。
3年間一度もサーカスなんて観に行ったことはありませんでしたが、今ちょうどCircus Extremeというサーカスが大学の横の植物園で開催されており、せっかくなので観に行くことにしました。英国は近代サーカス発祥の国と伺っていました。
子供の時にたしかキグレサーカスを観たことがありましたが、それ以来のサーカス観劇でした。



Belfastは、あまり人口が多くはありませんので、サーカスのテント会場もそれほど観客は多くはありませんでした。しかし、演出は圧巻でした。出演者との距離も、とても近くに感じました。



空中ブランコなどの定番の演技はありませんでしたが、綱渡り、ジャグリング、バイクなどの迫真のの演技や、陽気な道化によるコントも楽しむことができました。面白かったです。
子供心にすこし戻ることができました。



しがらみなく過ごした少年時代の
絶え間なく響く笑い声も 無責任に描いた夢も
過去の話 今はもう

ICRR 2019 in Manchesterの思い出

2019-08-29 | 2019年イベント
8月25日から29日にかけて、4年に一度の国際学会であるInternational Congress of Radiation Research (ICRR)が英国マンチェスターで開催されたので、私も参加しました。前回のICRR 2015は京都で開催されて、私も参加した記憶がありますが、あれから振り返れば本当にあっという間の4年間だった気がします。
学会中は色々な方々とお会いしましたが、個人的に大学院への博士論文投稿を間近に控えていたため自分の気持ちが落ち着いていなかったこともあり、何を話したかはあまり覚えていません。しかし、私の発表ポスターへの質問を幾つか頂き、それなりに自身の研究へのフィードバックを得ることができたのは良かったように思います。





マンチェスターを訪ねるのは、実は今回が初めてでした。
古さと新しさが混在しているような街並みは興味深いものがありました。
学会中に会場を抜け出して、マンチェスター大学のキャンパスに行きました。マンチェスター大学物理学部は「現代物理学の父」であるアーネスト・ラザフォード博士が世界で初めて原子核の存在を実験的に証明した場所であり、放射線・原子力研究の歴史上、重要な研究拠点となりました。ラザフォード博士はノーベル賞こそ1回しか受賞しませんでしたが、キュリー夫人以上に世界の原子物理学に影響を与えた人物であり、その門下生からは20人くらいノーベル賞受賞者が輩出されています。
ラザフォード博士は、実験物理学者としても、理論物理学者としても超一流であっただけでなく、教育者としても一流だったのでした。




また、マンチェスターから電車で30分ほどの距離にあるリバプールも訪ねました。
言わずと知れた英国屈指の港町であり、ここから「ビートルズ」の4人が世界に羽ばたきました。
私は熱狂的なビートルズファンではありませんが、ビートルズの博物館にも足を運んでみたのでした。街を見下ろす全英一大きい大聖堂も素晴らしかったですし、なかなか素敵な街でした。

またいつか、マンチェスターとリバプールに行きたいですね。



ようやく博士論文が書き終わりました

2019-08-19 | 英国大学院博士課程に関して
ようやく博士論文の第一稿が書き終わりました。だいたい240頁くらいですね。もっとデータを入れても良かったかもしれません。これからは、まず指導教官に全部読んでもらって、幾つか修正することになると思います。次に、大学院事務局に提出して、4~6週間後に審査会(Viva)があります。審査会では、博士論文提出者によるプレゼン、外部審査委員を交えた口頭試問を経て、さらに論文の修正を指示されます。最後に完成版の博士論文を提出するまで、まだまだ道のりが残っているわけです。
とはいえ、まずは原稿を書き上げることができて、満足しています。

NatureやScienceに論文を出すことはできませんでしたが、大学院博士課程中に論文を12報(うち2報は日本に居た頃に診た症例報告であり、1報はまだ査読中)を書くことができました。幾つかの賞も受賞することができました。
英国に来て3年になりますが、まあ、自分にできることは一通りできたのではないかなと思いました。
あとは日本に戻ってから、また、頑張ることにしましょう。

というわけで18日日曜日はハイキングへ出かけました。
Belfastの街を一望できるCave Hillという小高い丘があるのですが、そこを2時間くらいかけて横断しました。足下が舗装されておらず、一部は完全に山道になっていて、途中で雨にも降られてしまい、そこそこ疲れました。しかし、素晴らしい景色を見ることができました。
山も、海も、街も淡い色彩で、実に北アイルランドらしい光景でした。
非常に美しい場所だなと改めて思いました。



17日土曜日は、BelfastのショッピングモールCastleCourtにあるギャラリーで、日本人アーティストのパフォーマンスを観ました。鈴木貴博さんは、22年以上にわたって、ひたすら「生きろ(be alive)」と書き続けている方です。ただひたすら「書く」ということが、刹那的なパフォーマンスであり、永続的なアートにもなるのですね。毎日コツコツと書き続けるというのは単純ではありますが、22年間は伊達ではありません。そのようなやり方はどこか社会彫刻的なアプローチを感じさせられますが、一方、継続は力なりというのでしょうか、実に日本人的な発想だなとも思いました。