「今日、これで寒いかな?」
「それやったら薄いで」
「でも、ダウンのコートなんて、もう誰も着てはらへんやろ」
「着てはる、着てはる、大丈夫や」
……「こんなん(ダウン)着てる人、やっぱり誰もないやん!」
ってな会話があった翌日の朝。
滅多に上がらない2階へ上がっていた母。下の台所でドアを閉めテレビを見ていた私のところへ、息も荒く入ってきた。
「もう~ さっきから、呼んでるのにっ!!」
手には、何着かのジャケット。
どうやら、私に、春のぽかぽか陽気の日に、寒かったらあかんから、とダウンのコートを着ていくように助言して、失敗したことに、罪悪感を感じているらしい。
自分の手持ちの春のジャケットで、私が着れるものがないか探してくれていたのです。
ありがとう、でも、ばあちゃんのジャケット、肩バットが強烈すぎる、、、
そもそも、この問題を引き起こしているのが、この前までずっと住んでいたアメリカ、ニュージャージーの「雪のブーツから、いきなり、夏のサンダルへ」という気候。
ブーツとサンダル両方が玄関先にあったりすることもあったのです。春が一瞬で終わってしまう。車社会だし、外に出ていくのに、服での微妙な温度調節をしなくても、なんとかなる。
それに、私の、一つのものを着続けるというズボラな性格が相まって、ギリギリまで冬のジャケットで、やり過ごしたら、もう、夏ってことになっていたわけです。
ですので、春うららな軽やかなジャケットなど、持っていなかったのです。春のおしゃれってのがなかったのです。どの季節のおしゃれってのもなかったのです。
はい、安いの買いに行きます、、、って、これは、不要不急の外出と認定してもらえるのか?
「母の罪悪感」といえば、カレッジへ巣立つ息子たちに、断捨離をせまっていたときのこと。
かぶることがないのに、ホコリだけかぶっている帽子をたくさん持っているので、二つか三つに絞って、あとは捨てなさい! と、こんまり方式で、二人の帽子を全て床に並べて、2週間もの考える期間を与えていたのです。
次男は、何個か選び、あとは捨てていい、と言ったのですが、長男が、決断しない。
明日までに決めないと、もう全部捨てるよ、と警告しましたので、翌日、全部、捨てました。
長男は、少々、不満をあらわにしました
私は、少々、反省をひっそりとしました。
その後、長男が好きそうな帽子を見るたび、「これ、欲しかったら、買ってあげるよ」なんて言ってましたっけ、、、