#201 鼠と猫の宿命 ~「猫と金魚」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

古典落語の世界では町を流して歩く物売りの売り声がよく紹介される。その中で夏を代表するのが金魚売りの「きんぎょ~ェ、きんぎょ」という売り声であろう。何となくけだるく眠気を誘うのんびりとした売り声は私の子供の頃にも聞いたことがある、夏の風物詩の一つである。金魚を扱った「猫と金魚(ねこときんぎょ)」という滑稽噺を聴くことにしよう。

 

ある店の主人は金魚の鑑賞を趣味にしており、いらいらした時やむしゃくしゃした時は金魚の泳ぐ姿を観て憂さを晴らしている。その主人が番頭を呼んだ。「お前さん、もう少し気を付けてもらわないと困るよ。大事にしている金魚を縁側に置いていたら、猫に食べられたよ」「怪しからん猫だな」「お隣の猫だから苦情を言うわけにもいかんしね」「それじゃあ、うちの金魚をけしかけて隣の猫を食べさせたらどうです。隣も文句は言わないでしょう」「お前さんの発想はユニークだね。この前の雪の降る寒い日、金魚も寒かろうとお湯の中に入れたのもお前だったね」「あれから金魚が赤くなりました」「元々からだよ。そこで頼みがあるんだ。猫が手を出せない高い所へ金魚鉢を上げて欲しいんだ」「この辺だと銭湯の煙突の上ですかね」「そんな所へ上げたら金魚が見えないではないか」「望遠鏡なら見えますよ」と主従の馬鹿げた会話が繰り広げられる。

 

「そこで、湯殿(浴室)の棚に金魚鉢を上げて欲しいんだ」「わかりました」。しばらくして、「旦那さん、金魚鉢を上げました。で、金魚はどうしましょう?」「えッ?! 金魚はどこに?」「縁側でピチピチ跳ねてますが」「金魚を上げるんですよ」。また、しばらくして、「上げました。で、金魚鉢はどうしましょう?」「お前さんはどうして2つを別々にするんだい? 金魚鉢に水を入れてその中に金魚を入れ、その金魚鉢を湯殿の棚に上げなさい」。手間の掛かる番頭であったが、やっと主人の思う通りになった。

 

「言うべきかどうか悩んだのですが、一言申し上げた方が良いかと…」と番頭、「何です?」と主人。「隣の猫が湯殿の窓から入って来て、棚に座って金魚鉢を掻き回していますが…」「悩むような事じゃあないですよ、すぐに湯殿に閉じ込めて、お尻を叩いてお仕置きをしてやりなさい」。「閉じ込めはしましたが私は()(どし)生まれなんで猫が苦手で、私にはできませんが…」「じゃあ、棟梁の寅さんを呼んで来て下さい。あの方は背中に虎の彫り物をしているから猫も怖がるでしょう」。

 

棟梁の寅さんがやって来た。「旦那の頼みなら、例え火の中水の中、何でも申し付けて下さい」「そうかい、有難う。いえ、たいしたことではないんだ。今、湯殿にうちの金魚を食べた悪い猫を閉じ込めています。お隣の猫なので殺さない程度にお仕置きをして欲しいんだ」「承知しました。ただ、今取り込んでいますので来月の暇な時に…」「今すぐに頼みます」。

頼りなさそうに寅さんが湯殿の中に入る。途端に、ドタンバタンと物音がし、物の壊れる音や水音もする。「番頭さん、様子がおかしいね」と主人が言った時、「キャー!」という悲鳴が聞こえた。主人が湯殿を開けると、寅さんがびしょ濡れになって倒れている。「寅さん、大丈夫かい?」「もう、猫にはかないません。この通り濡れ鼠になりました」。

 

 このナンセンス噺を面白く聴かせてくれたのは五代目月の家円鏡(後の八代目橘家円蔵)であった。決して上手ではなかったが独特のしっちゃかめっちゃかな高座で落語界に足跡を残したエンターテイナーであった。

 

 

金魚鉢と言えば私はテレビ草創期を思い出す。テレビ放送が始まった頃は終日放送ということではなく、番組表は夜を中心に組まれていて昼間には放送休止時間帯というものがあった。この休止時間帯にテストパターン(テレビの受像機能の調整用の静止画面)と併せてよく流されたのが金魚鉢の中で泳ぐ金魚の画像であった。延々と流されたが私も飽きずに画面に見入ったものであった。1950年代中頃の懐かしい想い出である。

(大和郡山市の金魚養殖池 2017年)

 

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