例年7月上旬に富士山の山開きが行われる。落語に富士登山を扱った「富士詣り(ふじまいり)」という滑稽噺がある。江戸時代の登山は今のようなスポーツ感覚ではなく山岳信仰として行われたから、「登る」というより「お詣りする」という感覚であった。題目もそんなところから付けられており、仏の教えを中心にした筋立てになっている。
近所の連中で講(グループ)を作って先達(せんだつ、リーダー)の指揮の下に一合目から「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら富士登山を開始する。五合目辺りまで登ってきた時、急に天候が荒れ出し、辺りが暗くなる。「これは仲間の中に仏の教えである五つの戒律(盗みをしない、殺生をしない、嘘をつかない、女性に淫らな行為をしない、酒を飲まない)を破った者がいるので山の神が怒っているのだ。心当たりのある者は懺悔しろ」と先達が言う。
グループのメンバーが次々にただ食いをしたとか、銭湯で上等な下駄とすり替えたとか、挙句の果てには先達のおかみさんに手を出したとかの懺悔までが飛び出す始末。
やがて一人が気分が悪くなったと倒れる。「初めての山登りだからお山に酔ったんだね」と先達が言うと、メンバーの一人が「先達さん、酔うわけですよ。ちょうどここは五合目ですから」。
当時は一合目から登山を開始したであろうから頂上まで登るのは大変な苦行であったと思う。その苦行を山の神に捧げることによってご利益を得ようとしたのであろう。仏さまの教えに背いたので山の神さまが怒ったというのはいわゆる神仏習合の発想で興味深い。
私は一度だけ富士山に登った。30歳の時で、会社の同僚20名程のパーティーであった。五合目から登り始め、八合目辺りであったろうか酸欠状態を呈してきて落伍者も出た。立ち止まって深呼吸をしては再び歩き始めるという動作を繰り返した。頂上を見ながらゴロゴロ道をひたすらジグザグに歩くだけの苦しい道程であった。なんとか山頂に到達したが、強い風雨で眺望は全く開けず、山登りに固有の爽快感はまったく得られなかった。普段の行いが良くないと言うが、我がパーティーの中に、私も含めて五つの戒律を破った者が多く、神さまが怒ったのであったかも知れない。
早々に下山に移ったが、砂地を調子に乗って一気に駆け下りたのが災いして全員が高山病に罹り、宿に着いた時には頭がガンガンする状態で、その夜の宴会は早々にお開きになったという惨たんたる富士登山であった。
「富士山は観る山であって、登る山ではない」というのが私の結論であった。
(大涌谷 2016年)