#245 仕事一筋で隠居した旦那 ~「茶の湯」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

もう10年も以前のことになるが、NHKテレビの「プロフェッショナル」という番組で十代目柳家小三治を取り上げていたことがあった。番組は小三治を現代落語界の最高峰・名人と位置付け、氏の落語哲学を紹介したものであった。

私は小三治の落語が好きで、現代の名人(2014年に、落語家で3人目の人間国宝に認定されている)に異論はなかったので関心を持って番組を観、メモを残している。メモには初めて知った氏の人物像としてこんなことが書かれている。

20年前(従って今から30年前)からリューマチを患い、薬で痛みを抑えながら高座を勤めている。

②高座で見せる笑顔からは考えられないほどの人嫌いで、孤高の噺家という感じである。自分には厳しく、考え込むタイプである。

③その日の高座に掛ける出し物は客席の状況と自分の体調やネタ帳(自分より先の出演者が高座に掛けた演目を記した帳面)を勘案して直前に決める。

④大抵、黒紋付きの衣装で高座に上がる。それは地味な服装で自分を目立たせないようにして噺の登場人物を客にイメージしてもらうための配慮である。

⑤かつて師匠である五代目柳家小さんに「お前の噺はちっとも面白くねえ」と言われ、噺家であることを全否定されたことがある。それ以来“面白いとはどういうことか”を追い求めてきた。その結論は“笑わせようとしないこと”だと悟った(私は小三治の芸風は六代目三遊亭円生に近いと思う)。

⑥これまでに150題ほどの落語を覚えたが、最近の持ちネタは30題ほどである(その中身は語られなかったが、「死神(拙ブログ#213参照)」、「百川」、「茶の湯」、「かんしゃく(同#169)」、「馬の田楽(同#39)などが代表作であると思う)。

 寄席にもバイクで通うほどのバイクマニアだという知識しかなかった私が、彼の落語哲学を知り得た有意義な番組であった。

以上はあくまで一個人の感想ですが参考になればと思い、紹介しました。では、氏の代表作の一つと思う「茶の湯(ちゃのゆ)」を聴いてみよう。

 

一財産を築いた男、家督を息子に譲って隠居することにし、根岸の里に店子(たなこ)付きのいい物件があったので小僧の定吉を連れて移り住んだ。金には不自由しない身分であったが、これまで仕事一筋に生きてきた男だけに遊び事は全く知らず、趣味もなく、毎日が退屈であった。ちょうど家には茶室と茶道具一式が付いていたので茶の湯を始めることにした。

 だが、茶席には出たことはあるが作法は全く知らない。しかし小僧には知らないとは言えないので、微かな記憶を頼りに茶を点てることに挑戦することになった。

 

先ずは湯を沸かしたが中に入れる粉が何なのか分らない。「定吉や、お湯の中に入れる“あおい粉”、あれ何と言ったかな?」「わかりました。買ってきます」と小僧は合点して出て行く。

 

「買ってきました」「これは何だい?」「青黄粉(あおきなこ)です」「そうそう、青黄粉、青黄粉」。茶碗に入れてかき回すが泡が立たない。「おかしいですね、若旦那がやるとすぐに泡が立ちましたよ」と小僧が不思議そうに言う。「そうだ、ここで何か泡が立つ薬を入れるんだ」と隠居が言うとまた、小僧が合点して「買ってきます」と飛び出し、無患子(むくろじ)の皮を買ってくる。茶碗にこれを入れるとぶくぶくとあふれんばかりに泡が立つ。

 隠居は満足気に、「茶碗をグラン、グランと回して、泡を向う側へ吹き飛ばしながら飲むんだ」と手本を示す。不味いのを我慢して一気に飲み干し「風流だなァ」、小僧も同じように「風流だなァ」と飲む。こうした茶の湯を一日に三度、一週間続けた。

 

「定吉、お前この頃顔色が悪いね」「へえ、お腹を下げまして」「そうか、私もだよ。昨夜は13度、厠へ行ったよ」「私は一度きりでした」「それは良かった。若いんだね」「いえ、入ったきり出られませんでした」。

 ついに定吉は音をあげ、「私ばっかり犠牲者になるのはもういやです。今度は店子に飲ませましょうよ」と哀願する。いつ立ち退きを通告されても拒否できない弱い立場にいる店子だけに事実上の呼び出しを断ることはできず、全員これに応じる。幸い茶の作法を知っている店子は一人もいなく、隠居は笑い者になることなく茶を飲ませることに成功し、ご満悦の体であった。

これに快感を覚えた隠居は、「ノー」と言い難い出入りの商人や職人、果ては見知らぬ通行人まで呼び入れて茶を飲ませるようになった。

 

「おーい、吉ちゃん、隠居の茶の湯には閉口するね。招ばれるのが怖いよ」「お茶は不味いが出される羊羹は美味いね。この前は2,3本持って帰ったよ」「そりゃいいね、俺もやろう」と店子連中は羊羹を目当てに行くようになる。月末の菓子屋からの高額の請求書を見てさすがの隠居も吃驚、自分で饅頭を作ることにした。さつま芋を蒸かして砂糖を加えてペースト状にし、灯油を塗り込んだお猪口で型抜きをした不味いものであった。

 

ある日、昔の友人が訪ねて来て「最近お茶を始めたそうですね。私に作法を教えて下さい」と言う。「形はどうでもいいんです。要は心ですから」と一人前の口を利きながら飲み方を教える。友人は一口飲んで不味さに吃驚するが泣きながら飲み干す。口直しにと饅頭を口に入れるがこれも不味くて食べられたものではない。「ちょっと厠へ」と言って廊下に出て辺りを見渡すと、塀の向こうに菜畑が広がっている。そこを目掛けて友人が投げ捨てた饅頭が農作業をしていた百姓の顔にベチャッと貼りつく、「ああ、また茶の湯だよ」。

 

(笠岡ふれあい空港・岡山 2008年)

 

洒落た考えオチの傑作である。“無患子”は落葉植物で、果皮は水に溶けると泡を生ずるので石鹸の代用とされ、種子は黒色で固く、正月遊びの羽子の球に用いられた。羊羹はおそらく“とらや”のものであったろうと私は想像をたくましくしている。

 

この噺は隠居、小僧、店子などの様々な人間性を描いた、現代にも通用する名作と言える。ただ、演じ手も多いので誰を聴くか?迷うところであるが、京須偕充氏は「“やんわりとした六代目三遊亭円生”、“ユーモラスな三代目三遊亭金馬”それに“痛烈な十代目柳家小三治”の三流儀が、落語<茶の湯>の三宗匠か」と言っていた。参考にしたいところである。私は三代目金馬の高座が最も好きである。

 

この噺が出来た頃は人生60年の時代であったろうから隠退後の無趣味も痛痒を感じなかっただろうが、80年にもなり、さらに100年時代を迎えるという現在では趣味の一つか二つは持っておく必要性が格段に高まっていると言えよう。働き方改革という時流もある、脱仕事人間(ちょっと古い言葉かな?)を心掛け、定年後も人生を楽しめるようにしたいものである。

根岸の里(東京都・台東区)は当時、閑静な高級住宅街で、旦那衆の隠居所や妾宅が多くあったようで、落語にもよく登場する。

 

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