#265 商売人より一枚上手の殿様 ~「初音の鼓」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

道具屋の吉兵衛が贔屓にしてくれている殿様を訪ねて来た。側用人の三太夫が応対に出る。「ご無沙汰致しております」「おお、吉兵衛か、お前はご無沙汰している方がよい」「それはまた、どういうことで?」「お前は殿にがらくた物ばかり売りつけておる。清正が虎退治の折に持って行った弁当箱、小野小町が使った尿瓶、水戸黄門が予備に使っていた印籠、裏に予備と書いているなどなど、あるはずのない物ばかり持ち込んでいるではないか。殿は何故かお前を気に入っていて全部お買い上げになるので、虫干しなどの管理をさせられている拙者はえらい迷惑を蒙っている。今日は何を持って来たのだ?」「“初音の鼓”で」「あの、静御前が義経から賜って宝物にしていたというあれか?」「左様で」「本物か?」「はい、正真正銘の偽物です」「なんと、あつかましい。殿をたぶらかすのはもういい加減にせい。一体、いくらで売るんだ?」「百両で。今日は三太夫さんにも一儲けさせて上げますのでお取次ぎを願います」「どういうことだ?」「偽物ですから折り紙は付いておりません。そこで三太夫さんに協力してもらって一芝居打ちたいのです」「ほう、どんな芝居だ?」。

 

「本物の“初音の鼓”はポンと調べる(打つ)と傍に居る者に狐が乗り移って“コン”と鳴きますと殿に申し上げます。その上で、殿に鼓を調べてもらいますのでそれに呼応して三太夫さんに狐が乗り移った風を装っていただきたいんです」「どのように?」「私が鳴いたのでは証明になりませんので、殿が“ポン”と一つ打ちますと三太夫さんが胸元に手をやって甲高く“コン”と一つ鳴いて下さい。“ポンポンポン”と三つ打ちますと“コンコンコン”と三つ鳴くという具合です」「成程、理屈じゃのう。だが、そのような悪企みに拙者が協力致すと思うか?」「タダでとは申しません。一鳴きに一両差し上げます」「何? 一鳴き一両と申すか」「お嫌で?」「たわけ者、そのようなことは…大好きじゃ」。かくして相談がまとまり、殿に目通りすることになった。

 

鼓を見せて、「本物である証拠に調べると狐が乗り移ります」と話すと、興味を持った殿が早速試してみることになった。「いよ~」と殿が“ポン”と一つ打つと三太夫が「コン」と鳴いた。「いよ~」“ポンポンポン”と3つ打つと「コンコンコン」と甲高く3つ鳴く。驚いた殿が「おお、三太夫! その方に狐が乗り移って余が調べた数と同じだけ鳴いたぞ」「前後忘却にござりまする」「左様か、では今一度」と“ポンポンポンスコポンポンポン”と打つと「コンコンコンスココンコンコン」と鳴く。興が乗った殿は何度も試し、三太夫は打ち合わせ通りに鳴く。繰り返す内に遂に三太夫は喉をやられて咳き込む。「もうよい、よく判った。次の間に下がって休息するがよいぞ」と殿が言い、二人は退出する。

 

息遣いを荒くした三太夫が言う。「金儲けは疲れるのう。殿がしつこく試されるのでいくつ鳴いたか判らなくなったぞ」「ご心配なく、ちゃんと算盤を弾いておりますから。後ほど、鳴き賃を差し上げます」。殿の手が鳴り、疲れ果てた三太夫を休ませておいて吉兵衛が御前に出る。

 

「三太夫は大事ないか?」「大丈夫でございます」「左様か、では、今少し試してみたい。今度はそちが調べてみよ」「えッ!」。断るわけにもいかず、吉兵衛が“ポン”と打つと何と殿が「コン」と鳴いたではないか。驚いた吉兵衛が“ポンポンポン”と打つと殿が「コンコンコン」と鳴く。「殿、今、コンコンコンと3度鳴かれましたが」「前後忘却して何も覚えておらん」。今一度と“ポンポンポンスコポンポンポン”と打つと「コンコンコンスココンコンコン」と鳴いた。「殿、ご気分は大丈夫ですか?」「前後忘却して何も覚えておらん」。何と鼓は本物であったのかと吉兵衛は驚く。

「気に入ったぞ、買い求めて遣わす。して、代は如何ほどじゃ?」「百両にございます」「左様か、ではここに置くぞ」「有難うございます。…殿、1両しかございませんが?」「それでよいのじゃ、余と三太夫が鳴いた分は差し引いてある」。

 

殿様を扱った「初音の鼓(はつねのつづみ)」という滑稽噺で、いつもは世間知らずとして扱われる殿様だがこの噺では商売人より一枚上手の存在として描かれている。恐らく吉兵衛と三太夫の相談を立ち聞きしたので面目躍如となったのであろうが、騙されやすい存在であったことに間違いはない。

落語は庶民階層から生まれたものであるから体制批判とまではいかないが武士を揶揄して鬱憤晴らしをした噺が多いのが一つの特徴である。特に、武士が多く暮らしていた東京落語でその傾向が強い。武士のトップである殿様は世の中が平穏になるに連れて苦労や世間知らずに世襲で殿に就いた者も多く、笑い話に事欠かなかったようである。

なお、“初音の鼓”は狐の革が張られていて雨乞いに使たと言われている伝説上の代物だそうだ。

 

上記の筋書きは立川志の輔の高座に依った。志の輔は、落語協会に叛旗を翻して脱退し、立川流を立ち上げた七代目立川談志の十番弟子に当たる。脱退に伴って立川一門は寄席から閉め出され、テレビやラジオ等を中心にしてのタレント活動を余儀なくされている。しかし反面、マスコミの威力で寄席中心の活動よりも全国的な知名度が上がりやすいと言え、志の輔もその一人で、テレビで名司会ぶりを見せている。そして、噺家としても実力の持ち主である。

 

 

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