#267 対照的な二人の人力車夫 ~「反対俥」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

確か、嵐山・嵯峨野(京都)で発祥したと記憶しているが最近、観光用の人力車が各地で増えているようである。古都と言われる観光地に似合う乗り物である。

 

 
(嵐山・京都 2019年)

 

人力車の車夫を主人公にした「反対俥(はんたいぐるま)という滑稽噺がある。

 

 橋の袂で客待ちをしている車夫に客が声を掛ける。「おい、万世橋を渡って上野駅までやってくれ」「わかりました。お客さん、車に大分ガタがきていますのでゆっくり乗ってください」。やおら舵棒を握るが客の重さに耐えかねて車夫は宙に浮く。客が気を利かせて腰を浮かせ、前に屈むと「着いた」と車夫が言う。「まだ全然走ってないよ」「いえ、地面に足が着きました」。

 

何とも頼りない車夫だが、ゆっくりと、ふらふらしながらもが動き出す。「おい車屋、走れねェのか?」「へえ、昨日退院したばかりで医者に過激な運動は止められていますんで」「えらいに乗ったなァ。おい、若い車夫が追い抜いていくぜ」「若いもんには花を持たせましょう」「年寄りの車夫も追い抜いていくぜ」「年寄りにも花を持たせましょう。花が多い方が弔いは賑やかになりますからね」「おいおい、もう降りるよ」。

 

途中でを降りた客は代わりのを物色し、威勢の良さそうな車夫を見つける。「車屋、お前さん速いか?」「か?…、疑っちゃあいけないよ。速さを自慢にしてるんだ。この前も特急電車を追い越した位だ」「そうか、じゃあ北へ真っすぐやってくれ」「合点だ、あらよー!」と走り出す。「おいおい、まだ乗っていないよ。お前さん相当にせっかちだね」。

 

は客を乗せ猛スピードで走り出す。何かにつまずいたのかが大きくバウンドする。「おい!今のは何だい?」「へい、土管を飛び越えたんです。お客さん喋らないで下さいよ。振動で舌を咬んだ客もいましたからね」。

 

は土手に突き当たってようやく止まる。「車屋、静かな所だがここは何処だい?」「へえ、あっしにも分からねえんですが。ああ、土手の看板に埼玉県浦和市と書いてますね」「来過ぎだよ。上野駅まで引き返しておくれ」。

 

は猛スピードで引き返す。「お客さん!」「おお、声の調子が変ったね」「目に汗が入って前が見えません。前からが来たり川があったりしたら避けてください!」「おいおい!そんなことは出来ないよ」「お客さん!お守り持っていますか?生命保険に入っていますか?」。客は不安になってくる。

滅茶苦茶に走っているうちに道端を歩いていた芸者を川に撥ね落す。「おい車屋、芸者を上げてやれ!」「馬鹿な事を言っちゃあいけないよ。芸者を揚げられる位の金があったら車屋なんかやってませんよ」。

「上げる」と「揚げる」の洒落オチである。上記の筋書きは八代目橘家円蔵に依った。円蔵は前名の五代目月の家円鏡時代にテレビの人気者になり、円鏡のイメージが強く残っていた落語家であった。落語は上手かったとは言えなかったがこの噺と「猫と金魚」、「道具屋」、「穴どろ」は出色で聴きものである。

上方では「いらち俥(いらちぐるま)」と言う。“いらち”とは関西弁で“せっかち”という意味である。東西で噺の筋に大差はなく、要は行く先もよく聞かず、とにかく走ることだけを考えているせっかちな車夫を主体にした噺である。

この噺に決まったサゲはなく演者によってまちまちで、サゲずに高座を下りる演者もいる。また、地名も上方では近畿地区、東京では関東地区のものになっている(因みに“万世橋”は神田川に架かる橋で神田須田町の近くにあり、上野駅まではおよそ2㎞の所にある)。

 

落語の演目名(演題名、題名、出し物とも言う)は当初は符牒、メモという性格を持っていた。落語は基本的には著作権のない世界で、噺が誕生した時は名無しであった。最初は特定個人専用であったが優れた噺は多くの落語家が高座に掛けるようになる。すると、同じ寄席で同じ日に同じ噺が重複して掛けられるケースが出てくる。これではお客さんに失礼だから、先に高座に上がった者が自分の出し物を楽屋帳(ネタ帳)に書き留めておこうということになり、演目名の必要性が出て来た。そこで端的に噺の内容を表す符牒が誰かによって考え出され、それを皆が踏襲して行ったという歴史があったようである。

若旦那の徳三郎が船宿に居候となる噺なので「船徳」と命名された等、気取らない、時には洒落たあるいは粋なネーミングが落語の魅力の一つになっているように思う。職人の八五郎が、妹が殿様の妾になったことで武士に取り立てられる噺なので「八五郎出世」と名付けたが、別人は単純すぎるとして一捻りし、“武士=馬に乗れる身分”ということで「妾馬」という別題が付けられたというケースもある。

「野ざらし」「抜け雀」「酢豆腐」「明烏」など優れたネーミングがある一方で、演目名にもう一つピンと来ないものもある。「反対俥」はその一つである。のろまな車夫とせっかちな車夫を対比させたので「反対俥」と命名したのであろうが、噺の大半はせっかちな車夫に焦点が当てられており、上方の命名が妥当かと思う。

 

(鶴岡八幡宮・神奈川 2017年)

 

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