#268 出血が止まる時とは? ~「不精床」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

散髪はいつも決まった店でやってもらうという人がほとんどであろうが、急に整髪の必要が生じて、空いてる床屋へ飛び込むことが偶にあろうかと思う。そんな時は少々不安な気持ちを持つものであるが、その不安が的中した「不精床(ぶしょうどこ 無精床と表記する場合もある)」という滑稽噺がある。

 

客が入っているのを見たことがないという床屋があった。見るからに汚い店構えで、店内にも蜘蛛が巣を張っているという不衛生な床屋である。偶々、店前を通り掛かった男が空いているのを見て飛び込んで来た。

「やってもらえますか?」「だめだめ、今日は上げる物は何もないよ、お帰り、お帰り」「いえ、物乞いじゃあありませんよ。頭をやってもらいたいんです」「どこへやるの?」「いい男にしてもらいたいんです」「無理だね、その顔じゃあ。生まれ変わるしかないね」「そうじゃあなく、月代(さかやき)を剃って髭を当り髷(まげ)を結い直すことをいい男になると言うでしょう」「じゃあ何かい?お前さん、ひょっとすると客だね?」「そうなんですよ、一時はどうなることかと思いましたよ」「客なら客らしく、もっと威張って入ってくるがいいや。じゃあ、そこへ座りな」。店はきたないし、親方は愛想がない。客は入って来たことを後悔しながら埃まみれの椅子に座った。

 

「おーい奴(やっこ)、生きた頭が久し振りに来たんだ。掴まりな」「あの子供がやるんですか?」「そうだ、わしの弟子で見習い中だ」「経験はあるんでしょうね?」「わしの向う脛で練習している」「じゃあ、頭は今日が初めてですか? 大胆過ぎませんか?…」「一人前にしなければならないのでね。おーい、奴、早くやれ」。

 

弟子がいきなり月代を剃ろうとする。「親方、元結(もっとい)をパチンと切ってくれるもんでしょう?」「自分のことは自分でやれと母親に教えられただろう。自分で切りな」。客が言われた通りにすると、弟子が月代を剃り始める。「水でしめらせてから剃るんじゃあないの? 親方」「お前さんの足元に水が入った桶が置いてあるだろう。それをすくって自分で付けな。何事も自分のことは自分でやりな」。桶を見るとぼうふらが湧いている。「親方、ぼうふらが湧いてますが…」「桶の横をトントン叩いてごらん。ぼうふらが沈むだろう。そこを狙って上部の水をすくって頭に付けな」。言われた通りにするが水は腐っていてヌルヌルしており、臭いも酷い。なんとか頭を湿らせ、弟子が剃り始めるが痛くてたまらない。「痛い、痛い、痛い!」と叫ぶと親方が「客が3度痛い!と言ったら止めろと教えているだろう。こうやるんだよ」と親方が代って手本を示すがこちらも粗っぽい。

 

「おい奴、どこを見てるんだ?客の頭を見ろよ」「今、表をチンドン屋が通っているんで…」「チンドン屋はいつでも見られるけれど、客は次はいつ来るかわからんだろう。よく見てるんだ」と剃り始める。剃刀が刃こぼれをしていたようで頭が切れて血が出だした。「あれ、血が出て来た。…止まらない。頭は血が多い所だからどんどん出るよ」と親方が慌てる様子もなく言う。心配になってきた客が「大丈夫ですか?」と訊くと親方がすまし顔で答えた、「大丈夫、大丈夫、全部出たら止まるよ」。

 

私は会社員時代に社員教育を担当したことがあり、この噺を聴くと、苦労した能力開発の事を思い出す。この親方がやろうとしたのは“やってみせる”OJT(On the Job Training)というものである。能力開発の手段としてはこれが基本となるもので、これを補うものとして自己啓発と集合教育(管理職教育など)がある。

私の経験では、会社の中枢はどうしても当面の業績のみを追求する傾向が強いので能力開発への関心は薄かった。また、従業員の方も、人事は正に他人事(ひとごと)で、集合教育さえ受けて義務を果たせばよいという考え方が支配的であった。本来は教えられる“教育”でなく自発的に勉強する“研修”でなければならないのだが、それを望むのは到底無理なことで、担当者として無力感を感じたものであった。

能力開発は人事部の為の専門的用語ではなく経営の一環であるという認識が会社全体に浸透した時にはじめて能力開発システムは効果を発揮するものである。そして人事部もこうあるべきだという押し付けでなく、各職場の忙しさに配慮しながら施策を講じなければならないというのが私の結論である。

 

今、義務教育現場では教師の不足、過重労働という問題が生じていると聞く。国の将来に大きく影響する義務教育である。行政もあるべき論に固執することなく、現場の実情にも配慮した対応が求められるのではなかろうか。

 

 

 

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