#282 聞かぬは末代の恥 ~「手水廻し」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

村の宿屋の番頭、大阪から来た客に「手水を廻してくれ」と言われたが何のことか分からず、主人も板前も分からないと言う。村で一番の物識りで通っている住職に訊くと、「“ちょうず”とは“長頭”のことじゃ」と言うので、隣村の頭の長いことで有名な男を呼び出して客の前で頭をぐるぐる回させる。客は何のことやら分からず、「早う廻して」と催促するばかりなので、男はこれでもかと精一杯速く頭を回す。ついに男は目を回してぶっ倒れ、客は馬鹿にされたと怒って帰って行った。これでは宿屋業が務まらないと、主人と板前が大阪の宿屋を見学に行くことになった。

 

一泊した翌朝、主人が期待を込めて「手水を廻しておくれ」と頼む。間もなく女中が、お湯を一杯張った金盥(かなだらい)

に塩と草楊枝を添えて持ってきた。つまり“手水”とは洗顔セットとも言うべきもので、草楊枝で歯の汚れを取り、塩を指に付けて歯茎に擦り込む。その後、金盥の水で口を漱ぎ、顔を洗うというもので、これを“手水を使う”と言った。

 

物の正体は分かったがどうするものかは分からない。主人は朝食の一部と思い、盥に塩を入れて草楊枝でかき混ぜて飲み始めた。お腹がだぶだぶになるのを我慢してなんとか半分ほどを飲み、残りを板前に渡す。板前も同様に飲み、主人が「どうだ、うちでも作れるか?」と訊く。「はい、大丈夫です。これならわざわざ大阪まで勉強に来ることはなかったです」と言いながら番頭はやっと飲み干した。そこへ宿の女中が金盥セットをもう一つ持って来て「お待たせしました、お連れさんの分です。ここへ置いておきます」と言う。“えッ! さっきのは私だけの分だったのか”と内心で驚く主人が知った風に言った、「女中さん、これはお昼に戴きます」。

「手水廻し(ちょうずわまし)」という滑稽噺である。“聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥”という格言があるが、この噺はその教訓的なものと言えようか。

それにしても住職が“ちょうず”から聞き慣れない“長頭”を連想したのには驚かされる。広辞苑で“ちょうず”を調べても“長頭”は載っていない。また、宿屋を営む主従が、いかに田舎者といえども“手水”を知らないのは不自然である。ちょっと作者が技巧に走り過ぎた感がある駄作である。

 

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