#284 “テーブルクロス引き”級の早業 ~「首提灯」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

「首提灯(くびぢょうちん)」という同じ演目名でありながら、東京と上方とでは筋書きが随分異なっている奇想天外な滑稽噺がある。ここでは、六代目笑福亭松喬の高座を採り上げる。即ち、筋書きは上方版である。なお、拙ブログ#159で採り上げた「上燗屋」は、元々はこの「首提灯」の前半部分に当り、後に独立して演じられるようになったようである。ここでは重複を避けて前半部分の最後の方からの筋書きとする。

 酔客が上燗屋の主人を散々おちょくって満足し、勘定の段になる(ここまでは拙ブログ#159「上燗屋」参照)。勘定は25銭、5円札を出すと釣り銭がないと言う。ちょうど近くに道具屋の夜店が出ていたので酔客は何かを買って、小銭を作ろうとした。道具屋を冷やかしているうちに仕込み杖(杖の内部が刀になっているもの 勝新太郎が演じた座頭市が愛用していた獲物)が気に入った。値段は5円、これでは目的を果たせないので25銭まけてもらって杖を買い、上燗屋への支払いも済ませて帰宅する。

 

刃物というものは人の心を乱すもので、酔客は何かを斬ってみたいという強い誘惑に駆られた。家をわざと開け放って留守であるように見せ掛け、泥棒の侵入を入り口の陰に隠れて見守る。案の定、泥棒が忍び足で入り口に近づき、首を伸ばして内部の様子を窺った。その瞬間を逃さず、鞘を

 

 

(はら)った仕込み杖を首筋目掛けて振り下ろした。スパッと首を切り離したが、あまりにも見事な切れ味であったので首は落ちず、胴体に繋がったままであった(上手くいったテーブルクロス引きの感じ)。

 

首筋に水を掛けられたような冷感に襲われた泥棒は慌てて逃げ出す。走るたびに首が少しずつずれ、首筋に手をやるとべっとりと血が付く。斬られたことを知った泥棒、膠(にかわ 接着剤)で元へ戻せるだろうとゆっくり歩き出す。ところが、近くで火災が発生し、火の手が襲って来る。群衆がぶつかり合いをしながら走って逃げて来る。このままでは大事な首が落ちてしまうと思った泥棒さん、首を提灯のように両手で持って逃げ出すと首が言った「火事や、火事や」。

六代目松喬(しょきょう)は六代目笑福亭松鶴の六番弟子(なんと、六づくしだ)でなかなかの噺上手で、上方落語界を牽引する一人と見ていたが、2013年に62歳という若さで没した。酒好きと言っていたのでそれが災いしたのであろうか?惜しい噺家であった。

 

私は東京バージョンを聴いたことがないが筋書きは以下の様である。

酔客が酒の勢いもあって品川遊廓へ繰り込もうと増上寺の近くまで来た。この辺は最近、辻斬りが出没すると言われているので、さすがの酔客も警戒心を起こした。「おい、町人!」と呼び止められてビクッとして振り返ると体格の良い侍が闇の中に立っている。“出たか?”と身構えると、なんと麻布への道を尋ねられた。しかも方言丸出しの田舎侍だ。一安心すると共に日頃から威張っている侍に反抗心を持っていた酔客、酒の勢いもあって、「ものを訊くなら訊きようがあるだろうが」に始まって罵り始めた。酔客のことと怒りを抑えていた侍であったが、唾を掛けられるに及んで堪忍袋の緒が切れ、刀を抜いて一閃の横払いの下に酔客の首筋を斬った。

 

切れ味抜群の刀であったから、首は胴体に着いたままで酔客は気がつかない。だが、歩くうちに首がずれることに気付き、首に手をやるとヌルッと血が付く。“さては斬られたな。落としては大変、帰って膠でくっ付ければ元通りになるかも知れない。それにしても大変なことになった”と思いながら家へ向かう。折しも、近くで火災が発生し、群衆が提灯を持って灯りを取りながら逃げ回っている。酔客も頭を両手で持って提灯代わりにし、「はい、御免よ、はい、御免よ」。

 

(芝公園・東京 2002年)

 

東京版の方が当時の武士と町人の関係をよく表していて、優っていると思う。上方版は正に殺人であって、後味の良くない噺になっている。

 

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